和装と和名を貰った幕府の支援者!共に新政府軍と戦った西洋商人・スネル兄弟の軌跡 (2/3ページ)
さらに、スネル兄弟は、外国人居留地から離れた場所で牧場を経営し、牛肉や牛乳を売っていたことから若いころから商才があったことがうかがえます。
語学堪能のため、他国から多数のスカウトが商才に加えて語学が堪能だったことで、ヘンリーは文久2年(1861)に祖国プロイセン王国の領事館ができると、初代領事マックス・フォン・ブラントの書記官に任命されます。一方、エドワルドは文久3年(1863)にスイス使節団の書記官に選ばれ、翌年にルドリフ・リンダウが領事に任命されると、引き続き書記官を務めました。
また、慶応3年(1867)にはスネル兄弟が馬車に乗って江戸に帰ってくる途中、馬車の前に現れた沼田藩士に襲撃され、その抵抗のために撃った銃弾が下駄商人の雇用人に当たったヘンリー・スネル襲撃事件が起きます。この事件の2日後に襲撃した沼田藩士が拘束されました。
平松武兵衛として生きた兄と武器商人として生きた弟慶応3年(1867)の大政奉還後、エドワルドは新しくできた新潟港のオランダ・スイス・デンマーク副領事代行に任命されたため、新潟へ移住。ヘンリーもそれに従いました。
さらに、エドワルドは同地でエドワルド・スネル商会を設立し、長岡藩家老の河井継之助にガトリング砲を2挺とエンフィールド銃、会津藩家老の梶原平馬には継之助仲介のもと、ライフル銃780挺と弾薬を売りました。
一方、ヘンリーは梶原平馬のもとで会津へ行きます。