漢字文化が日本を滅ぼす?明治時代に「まいにちひらがなしんぶんし」を発行した前島密の危機感 (2/4ページ)
そんな一人に「日本郵便の父」として有名な前島密(まえじま ひそか)がおり、ひらがな文化を普及させるために新聞を発行。その名も「まいにちひらがなしんぶんし(毎日平仮名新聞紙)」。
一体どんな新聞だったのでしょうか。
すべて ひらがな と かんすうじ で ひょうき前島密はかねがね日本語、とくに漢字の複雑さについて憂慮しており、慶応2年(1866年)には江戸幕府の第15代将軍・徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)に対して「漢字御廃止之議(かんじおんはいしのぎ)」という建白書を奉上するほど熱心な漢字廃止論者でした。
曰く「アメリカ人ウィリアム某の申すところによれば、清国がアヘン戦争に敗れるなど文化が衰退しているのは、難解な漢字を使用してきたためであり、同じく漢字を用いている日本も遠からず同じ末路をたどる……との事で、今後欧米列強と渡り合っていくためにも日本語表記を仮名文字に統一して情報処理や国民教育の合理化を図るべし(大意)」との事で、主張の是非はともかく、緊迫した国際情勢が感じられます。
結局この建白書が採用されることはなかったものの、日本の危機をどうにかしようと前島密は明治6年(1873年)に啓蒙社から「まいにち ひらかな 志んぶん志」を発行。