10代前半の少女も。北海道室蘭市にあった政府公認の遊郭「幕西遊郭」の歴史と現在 (2/3ページ)
中でも吉原遊郭は別格で2万坪以上の敷地に、数千人の遊女がいたと記録が残っています。
それに比べると規模は小さくなりますが、幕西遊郭は東北の中では比較的大きく有名な遊郭の1つだったと言われています。
昭和33年まで続いた幕西遊郭ですが、全盛期では10数件の楼が軒を連ねるほどまでに。利用客は労働者の他に政財界の大物や有名文化人なども多く訪れ、夜の情報交流の場としての一面も持ち合わせていました。
幕西遊郭の歴史について幕西遊郭の歴史は、昭和初期に起こった恐慌時代にさかのぼります。当時の日本は、戦後・震災・金融など各方面からの要因が重なり、大恐慌時代に突入しました。さらに追い打ちをかけるように、凶作にも見舞われたのです。
よって東北の貧しい農家の娘たちは、家族を助けるため、女工になるか身売りをするか迫られました。どちらを選択しても、過酷な労働が待ち受けていることは確か。
そこで、より賃金の高い身売りを選んだ娘たちの多くが幕西遊郭へ渡ったのです。今では考えられませんが、当時の東北では堂々と「娘身売相談所」となる窓口まで存在していました。
そのとき北海道の中でも室蘭市は、工業の中心地として栄えており、同時に多くのタコ部屋労働者も本州から渡ってきていました。タコ部屋労働者とは、戦後の北海道で身体的拘束の中、劣悪な環境のもとで行われた過酷な肉体労働を課せられた人々のことです。
彼らの中には囚人も含まれていましたが、多額の借金がある者、また業者に騙された者など、そのバッググラウンドはさまざまでした。そして日々の悲惨な労働のもと、荒み切った男たちを慰めるための場所として幕西遊郭が誕生したのです。
そこで働いていた女性たちは若く、10代前半の少女も含まれていたそうです。
