20,000対763名!戦国武将・高橋紹雲が魅せた武士の心意気と壮絶な最期【下】 (4/4ページ)
岩屋城二の丸に眠る紹雲の墓と、供養塔。Wikipediaより(撮影:Heartoftheworld氏)
その後、岩屋城での痛手が後を引いて島津の九州統一が遅れたため、やがて豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の九州征伐を受けますが、主君・義鎮は無事に生き永らえることとなります。
紹雲らが命を賭けて守り抜いたのは、単に主君の命のみならず、あるべき武士の姿、そして日本の精神だったように思えてなりません。
【完】
※参考文献:
桐野作人『歴史群像デジタルアーカイブス <島津と筑前侵攻戦>壮絶!岩屋城 高橋紹雲の抵抗』学研、2015年3月
小林よしのり『ゴーマニズム宣言SPECIAL 大東亜論第一部 巨傑誕生篇』小学館、2014年1月
吉永正春『九州戦国の武将たち』海鳥社、2000年11月
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