埋葬禁止は誤解だった?幕末、戊辰戦争に散った会津藩士の埋葬を命じる史料が発見! (2/3ページ)
むしろ遺体を放置したくなかった新政府軍の事情
平成28年(2016年)に発見された『戦死屍取仕末金銭入用帳(せんしかばねとりしまつきんせんにゅうようちょう)』によると、会津藩の降伏から間もない明治元年(1868年)10月3日、新政府軍は敵味方を問わず遺体の埋葬を命じています。
会津藩の降伏した9月22日から11日後のことであり、残敵掃討など占領直後の混乱を考慮すれば、そこまで不自然な日数でもありません。
それから作業を続けること2週間、10月17日には567名分の遺体を64か所の寺院や墓地へ搬入。
かかった埋葬費用は74両(現代の価値で約450万円)、人件費もきちんと出しており、384名の作業員に対して一人2朱(約7,500円)の日当を払っていますから、2週間で約4,032万円を支出した計算(※)になります。
(※)約7,500円×384名×14日間=約40,320,000円
埋葬作業はその後も続いているため、さらにコストがかかっていることになりますが、そこまでして遺体の埋葬を行ったのは、腐敗した遺体による伝染病の蔓延防止など、衛生面の理由が最も大きいものの、やはり会津の民心を無用に逆なですることも避けたかったはずです。