桃の節句・ひな祭りに秘められた真の理由。古代日本人の切実な思いとは? (2/3ページ)
『源氏物語』の須磨の巻にもこの行事が登場しており、そこでは光源氏が、お祓いを済ませた人形を船に乗せて須磨の海に流したという文章があります。
それにしても、なぜこのような行事が定着したのでしょうか。
昔の日本では、乳幼児の死亡率はかなり高く、現代では想像もつかないほどでした。赤ちゃんのうぎに亡くなってしまうこともしばしばで、どの親も、必死の思いで子供の命を守り、健やかな成長を願っていました。
それで、少しでも子供のためになるようにと、形代を使った厄除けの風習が自然に生まれたのだと思われます。
現代のように、ひな人形が豪華で立派な「お人形さん」に変わっていったのは江戸時代です。製作技術の発展によってさまざまな人形が作られるようになりました。
こうなると、高価なひな人形を毎年海や川に流すわけにもいきません。
こうして、ひな人形は「流す」ものから「鑑賞する」ものへと変わっていきました。
とはいえ、今でも「ひな人形をいつまでも出しておいてはいけない」という、うっすらとしたしきたりは存在しますね。これは、かつて災いを引き受けてくれた形代を流していた習慣の名残でしょう。
いわば、現代のひな人形は、再利用可能な形代であるわけです。
今も存在する「ひな流し」と古代日本人の想いでは現在は、昔ながらのひな流しは行われていないのでしょうか?
決してそんなことはなく、例えば鳥取市用瀬町は「流しびなの里」として知られており、資料館も存在します。また和歌山県の淡島神社でもひな流しの習慣が残っており、ここではひな人形の原型のような、紙でできた簡素な人形が使われています。
こうして見ると、私たちの慣れ親しんだひな祭りというイベントにも、古代からの歴史と変遷があったことが分かります。
