幕末の超イケメンとして知られる織田信福…実は爆弾テロ犯だった!? (4/4ページ)
日本初の女性参政権は、高知で実現。竹らの活動も、その一助となったはず(イメージ)
プライベートでは、永らく子供がいなかったため明治26年(1893年)に養女の猪佐(いさ)を迎え、明治32年(1899年)には長女の富士(ふじ)が誕生。後に婿養子をとって家業を継がせました。
明治41年(1908年)6月10日に竹(享年42歳)と死に別れた信福は、自身も大正15年(1926年)1月13日に66歳で世を去ったのでした。
医学に志し、自由民権運動に挫折した織田信福。両極端のようでいて、どちらも「人々を安んずる」思いにおいて共通しており、それは今も土佐人の中に熱く脈打っていることでしょう。
※参考:
織田歯科医院の歴史-織田歯科医院 ODA DENTAL OFFICE 外崎光広『高知県婦人解放運動史』ドメス出版、1975年1月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan