幕末の超イケメンとして知られる織田信福…実は爆弾テロ犯だった!? (2/4ページ)

Japaaan

信福は13歳で卒業しているためかなり遅いですが、その後に医学を志すような人物が何度も留年したとは考えにくいため、恐らく入学が遅れた事情があったものと考えられます。

医学を志した信福(イメージ)

明治13年(1880年)、20歳となった信福は医学を志して高知(現:高知市)へ転居、蘭学医の山崎立生(やまざき りっせい)に入門しますが、翌明治14年(1881年)に立生が亡くなってしまいました。

新たな師を求めて明治17年(1884年)に上京、歯科医の高山紀齊(たかやま きさい)に弟子入り。翌明治18年(1885年)には歯科医術開業試験に合格。

この時の免状には織田信福と記されていますが、これがどうして旧姓の羽田から織田に変わったのか、その根拠は不明です。戦国時代ならいざ知らず、公的な免状に勝手な自称・通称は使えないはずですが……。

夫婦仲良く爆弾づくり、いざ上京

ともあれ故郷に錦を飾ったその年、信福は亡き山崎立生の次女・山崎竹(たけ)と結婚。竹は高知女子師範学校を卒業していた才女で、夫や植木枝盛(うえき えもり)らの影響で自由民権運動に目覚め夫婦で身を投じることになります。

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