戦国大名の運命を大きく変えた大災害「天正地震」秀吉は家康への総攻撃を中止に? (2/2ページ)

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昭和時代の大垣城

地震による揺れだけでなく、津波や地滑りなどによる被害も甚大でした。

豊臣秀吉への影響

宣教師のルイス・フロイスの記録によると、地震発生当時、豊臣秀吉は明智光秀の居城であった坂本城(琵琶湖の西側に位置)にいましたが、揺れに驚いて、大阪城へまっさきに避難したとされています。

彼は当時徳川家康への攻撃を計画しており準備を進めていましたが、兵糧倉を作った大垣城が地震で倒れ、焼失しました。さらに、山内一豊が戦で先鋒を担うことができなくなったため、秀吉の計画は中止になりました。

もしこの地震がなければ、秀吉は2ヶ月後に家康に総攻撃をしかけていたとされています。

そして、当時秀吉の軍事力は非常に大きく、家康は滅亡してしまう可能性もありました。そのため、この天正地震は、日本の歴史を変える、もしくは方向を決定づけるものとなりました。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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