松井秀喜「WBCで日本球界復帰」の裏交渉(2)「状況は変わった」読売の分析 (2/3ページ)

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04年3月にミスターが病で伏せるまで、アテネ五輪では陣頭指揮を執る予定だっただけに、その願いを松井氏に託すとなれば、無下に断ることもできまい。こんなシナリオまで考えられているというのだ。

 さらに一時は体調不良が囁かれていたミスターも、ここにきて健康状態が回復。その裏には過酷なリハビリにも耐える「野球魂」があるという。

「病に伏した当時は、侍ジャパンのユニフォームを着てグラウンドに立つことを目標に、雨が降ろうが台風が来ようが、過酷なリハビリを休むことはありませんでした。専属の理学療法士、広報担当者らと、自宅近くの多摩川公園のグラウンドで、50メートルの距離を10往復、さらに公園下から自宅まで続く約1キロの勾配のキツイ坂道を散歩して帰るのが日課でした。時には、港区の国立博物館付属自然教育園に遠征することも。開園前の朝7時40分から約30分、普段よりも負荷のかかるトレーニングをしていました」(スポーツジャーナリスト・吉見健明氏)

 トレーナーに右上半身を抱えてもらい、麻痺の残る右足を大きく蹴り上げて、約30メートルをダッシュ。そのあとにバットを手にして、30回の素振りで仕上げる。リハビリの域を超えるトレーニングで、右半身の麻痺は順調に回復していたが、18年の夏に容体は急変する。前出の球界関係者が明かすには、

「胆石のために半年近く入院したんです。冬には退院しましたが、外出してのトレーニングはできなくなった。それでも月曜日〜木曜日に専属の介護士を自宅に呼んで、朝4時から8時までみっちりリハビリを続けてきたようです。

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