ベースボールを「野球」と名付けたのはなんと歌人・正岡子規だった!?…という誤解 (2/3ページ)
ちなみに正岡子規がプレイしていた時代は、プロ野球もなければ私立大学でも慶應くらいしか強豪チームがなく、誰もが認める日本最強チームが正岡子規の所属する東京大学予備門だったようようです。
正岡子規は友人も不思議に思うほど、他のスポーツには興味を示さないのに、野球に心底熱中しました。それは結核で血を吐いて倒れる直前まで野球を辞めなかったということからも野球狂であったことがわかります。
明治25年(1982)帝国大学を中退し、正岡子規は新聞「日本」の記者となります。
そして明治29年(1896)年、アメリカから伝わったベースボールの歴史や競技の仕方などを連載で解説していました。正岡子規はそのときバッターを“打者”、ランナーを“走者”、フォアボールを“死球”と日本語に訳し、それが今も日本の野球で使用されているのです。