恋人に逢おうと公務をサボった結果…『今昔物語集』より橘則光の武勇伝
恋人が出来ると身も心も浮き浮きして、仕事が手につかなくなってしまった経験をお持ちの方は少なくないのではないでしょうか。
まぁ多少(こと若いうち、経験が浅いうち)は仕方がないものの、逢いたさ余って仕事をさぼってしまうまでくると、流石にいただけません。
それでも逢いたい、狂おしい気持ちは今も昔も変わらなかったようで、平安貴族の中にも公務を抜けて恋人に耽溺する者がいたようです。
今回はそんな一人、平安時代の説話集『今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)』より橘則光(たちばなの のりみつ)のエピソードを紹介したいと思います。
夜中に内裏を抜け出して……今は昔、橘則光が左衛門尉(さゑもんのじょう)を務めていたころと言いますから、彼が左衛門尉に叙せられた長徳3年(998年)ごろのこと。
ある夜、則光は宿直(とのい。内裏の警護)任務をサボって恋人との逢瀬を遂げるべく、そそくさと夜の街へと出かけます。
夜の街、なんて聞くと現代人なら何やら楽しげ(あるいはいかがわしげ)な風景を想像しそうなものですが、平安時代の夜道は本当に真っ暗。
よく時代劇で「月のない夜は、背中に気をつけるんだな……」なんて言う通り、手元の灯り(この頃なら紙燭や松明など)だけが頼りです。
普通なら牛車を仕立てて護衛つきでお出ましですが、何せ今回は公務をサボってのお忍びなので、人目につかぬようたった独りで夜道をゆきます。
「ん……?」
灯りもつけず、夜目を恃みに進んでいくと、前方からヒタヒタと足音が。複数名のようですが、向こうも灯りを持たぬところを見ると、十中八九まともな人種or動機ではありません。
(夜盗だと面倒だ……やり過ごそう)
しかし向こうは則光が単独と見るや徐々に距離を詰め、ついには取り囲んでしまいました。
「おい、命が惜しければ……」
身ぐるみ置いてけ、そんなありきたりなフレーズを聞き終える間もなく、則光は抜刀。
「邪魔だ……どけぇ……っ!」
せっかく恋人との逢瀬に、裸ではフラれてしまう。何よりこんなチンピラに構っているヒマはない。
瞬く間に三人を斬り殺すと、残った者どもは泡を食って退散します。
「「「ひえぇっ!」」」
「……何じゃ、口ほどにもない」
さぁ先を急ごうと刀を拭った則光ですが、せっかく美々しく誂えた装束に、返り血がべったり。
「あぁ、これではまた別の意味で彼女にフラれてしまう。仕方ない、今夜のところは引き上げよう」
則光は誰かに目撃されていないか周囲を見渡すと、斬り捨てた遺体を放置して内裏へと戻ります。
血に濡れた装束を着替えて最初からずっといたような顔で夜を明かしたのでした。
翌朝、死体を見てみると……「おい、そこの辻で斬り合いがあったらしいぞ!」
翌朝、同僚たちに起こされた則光は、早鐘を打つ心臓をおさえながら、なるべく平静を装います。
「さ、最近は何かと物騒だからな。血の穢れが前途に障るから、そういうのは見ないのがよかろう」
まだ自分の仕業とはバレていないようですが……どうにか話題をそらそうとする則光の努力も虚しく、上司が「宿直も明けたし、さっそく見に行こう!」と言うので、つき合わされてしまうのでした。
(あぁ、どうかバレませんように……)
牛車に揺られながら、もう気が気でない則光でしたが、いざ昨夜の現場に到着すると、少し様子が違います。
「天下を脅かしたこの三悪党は、それがしが倒したのだ!」
群衆の向こうをのぞき込むと、三人の遺体の傍らに身分の低そうな武士が一人、何やらわめいているようです。
「ほぅ、あの男が斬ったのか。三人相手に、大したものじゃのぅ」
つまりあの武士は、死人に口なしとばかり「こいつらは悪党で」「斬ったのは自分の手柄」と吹聴し、自分を召し抱えるようアピールしているのでした。
(あの野郎!そいつらを斬ったのは我じゃ……がそれを言ったら宿直をサボったのがバレてしまう……)
こうしてジレンマを抱えたまま、悪党退治の手柄はその武士に奪われてしまったということです。
終わりに世の中、何か隠さなければいけない時ほど「みんなに言いたい」出来事に遭遇してしまいがち。
だけど言えないもどかしさ……こういう経験、皆さんにはあるでしょうか。いつか時効が来たら、是非とも教えて欲しいものです。
※参考文献:
繁田信一『平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職』文春新書、2020年10月
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