俳優&プロ雀士・萩原聖人インタビュー「人間力」演じる怖さとエンタメ性の必要

日刊大衆

萩原聖人(撮影・弦巻勝)
萩原聖人(撮影・弦巻勝)

 デビューして30年以上たちますけど、年齢とともに、芝居をするということが、“楽しい”から“怖い”へと変わりました。

 20代の頃は、自分の中から生まれてきたものを、好き勝手に出していけばよかったから、本当に楽しかった。「僕以上の表現ができる俳優はいない」なんて、自信も持っていましたね。もちろん、そうした姿勢が誤解を生むこともありましたけど、良くも悪くも、みずみずしさを表現できていたとは思います。

 それが、30歳を過ぎてからは、若さゆえの自信や勢いだけでは通用しなくなってしまった。20代で築いたキャリアで、信頼を得ることはできていたと思います。でも、20代の頃とは、周囲からの要求が変わってきた。「あなたならこれ、できますよね?」と、それまで以上に難しい役をオファーされ、なおかつ、高いクオリティを求められるようになったんです。

 俳優として生きていくには、周囲の期待に応えて、しっかりとしたものを提供し続けることが、何よりも重要になる。そして、それを乗り越えるためには、緊張感を持って、1つ1つのシーンをこなしていく以外にない。

 今も、期待を裏切ってはいけないという“怖さ”は、絶えず感じています。表現することの喜びや楽しさは、もう作品が完成したときにしか感じられなくなってしまいましたね。

 ただ、表現の部分に関して言えば、何も話さなくても、映っているだけでも、観ている人にいろいろなことを想像させるような俳優でありたいと思っています。

 俳優業の一方、僕は現在“プロ雀士”という肩書も持っていて、二足のわらじをはく日々を送っています。

 麻雀は、中学時代に友達に教えてもらって以来、ずっと続けています。20代前半からは、テレビの麻雀番組などにも、たびたび出演するようになりました。『週刊大衆』の麻雀大会にも出場しましたよ(笑)。

 ただ当時はまだ、麻雀に対する世間のイメージがあまりよくなかった。イメージが大切な俳優にとって、麻雀好きを公言することは、リスクしかありませんでした。

■50代を迎えたら、もっと自由になりたい

 それでも、僕が麻雀番組に出演したのは、俳優という目線から、自分なりに麻雀の面白さを伝えたかったから。たとえ負けたとしても、「萩原の麻雀は、最後まで魅せてくれるから面白いな」と感じてもらえるように、ずっと打ってきました。

 その気持ちは、2018年にプロ雀士になり、プロリーグ『Mリーグ』に参加してからも変わりません。いや、プロならなおさら、勝利だけに特化せず、"エンタメ性”を意識していかなければならない。そうしないと、ファンの皆さんは絶対に見てくれませんし、いつまでたっても、麻雀が世の中に広がっていきませんからね。

 でも、よく“麻雀の魅力は何ですか?”って聞かれるんですけど、うまく説明できないんですよ。自分でも、どうしてこんなに麻雀に魅せられているのか分からない。麻雀の悪魔にとりつかれているのかもしれませんね(笑)。

 正直言って、俳優とプロ雀士の両立は大変です。どちらにも悪影響が出ないように心がけても、出てしまうことが多々あります。

 でも、3年近く続けてきて、確実に成長できました。これからは、どちらにも好影響しか出ないという考え方に切り替えていくつもりです。

 僕は、8月で50歳になります。俳優は死ぬまでやめたくないし、プロ雀士は、自分が納得できるまで続けたいと思っています。

 ただ、現役でいられる時間が、あと何年あるのかは分からない。だからこそ、50代を迎えたら、もっと自由になりたい。人生の着地点に向かって、俳優としても、プロ雀士としても、思う存分、楽しく暴れていきたいですね。

萩原聖人(はぎわら・まさと)
神奈川県生まれ。ドラマ『はいすくーる落書2』(1990年・TBS系)で注目を集め、1993年、映画『学校』『教祖誕生』『月はどっちに出ている』で日本アカデミー賞新人俳優賞と話題賞(俳優部門)を受賞。同賞では映画『マークスの山』(1995年)、『CURE』(1997年)で優秀助演男賞を受賞。以降も映画、ドラマ、舞台、ナレーター、声優と幅広く活躍。2018年に日本プロ麻雀連盟に加盟してプロ資格を取得。プロ麻雀リーグ戦Mリーグ「TEAM RAIDEN/雷電」に所属。

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