父は謀反、夫はヤンデレ…戦国の世でキリシタンとして壮絶な最期を遂げた細川ガラシャの生涯 (2/3ページ)

Japaaan

嫉妬・束縛・幽閉…。戦国一のヤンデレ夫、細川忠興の愛が重すぎて重すぎて。

細川忠興

順調に思えた二人の結婚生活でしたが、天正10年(1582年)の「本能寺の変」で彼女の状況は一変します。謀反を起こした明智光秀は細川藤孝・忠興に支援を求めますが、彼らは応じず。ガラシャは、「謀反人の娘」となってしまいました。

忠興はガラシャと離縁し、彼女を丹後・味土野女城(現在の京丹後市弥栄町須川付)に幽閉しました。2年後、豊臣秀吉によって幽閉は解かれましたが、行動の制限などはその後も続きました。

キリスト教への改宗

細川ガラシャは、夫・忠興の親友で、キリシタン大名である高山右近(たかやまうこん)の話がきっかけでキリスト教へ興味を持ったとされています。

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