父は謀反、夫はヤンデレ…戦国の世でキリシタンとして壮絶な最期を遂げた細川ガラシャの生涯 (3/3ページ)
夫が九州へ行っているあいだに、教会へ。洗礼を受け、その際にもらった名前が「ガラシャ(神の恵み、という意味)」でした。
しかし、時はキリスト教を受け入れない時代。夫との関係も悪くなっていきました。関ケ原の戦いで東軍についていた忠興と対立した石田三成の手がガラシャにも迫っていました。
そんな彼女の最期は、家老の「小笠原秀清」(おがさわらひできよ)に胸を突かせるというもの。キリスト教で自害は大罪でした。
いかがでしたか?今回は、細川ガラシャについてご紹介しました。この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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