矢野阪神「8月首位陥落」は「1985年日本一」と酷似していた! (1/2ページ)

Asagei Biz

矢野阪神「8月首位陥落」は「1985年日本一」と酷似していた!
矢野阪神「8月首位陥落」は「1985年日本一」と酷似していた!

 首位陥落は「日本一の吉兆」か? 8月29日の広島戦を落とし、矢野阪神が4月3日以来、148日ぶりにその座を明け渡した。試合後、矢野燿大監督は「最終的にいちばん上にいることが大事」「落ち込む必要もない。前を向いて…」と語っていた。指揮官が「明るく」などのメンタル面を口にするときがいちばんヤバイのでは……。

 いや、違う。日本一になった1985年も首位陥落した時期があり、その当時と今年のタイガースが酷似しているのだ。

「厳密に言うと、2度ピンチがありました。その2回目に状況が似ているんです。85年7月の時点では広島が首位に立ち、阪神がその座を奪い返したものの、8月17日の広島戦を落としてまた首位陥落となりました」(球界関係者)

 85年8月17日の首位陥落の舞台は広島市民球場だった。今回の舞台もやはり広島カープの本拠地・マツダスタジアム。たしかに「広島戦」「敵地本拠地」の共通点がある。また、85年8月に首位陥落した試合は4対9で敗れていた。今回は0対5。「5点差」で敗れた点も同じだ。

 85年の阪神は「打線のチーム」。矢野阪神も打線がウリのチームである。85年、「クローザーの中西(清起氏)につなげば何かとなる」という状況も、今日の守護神・スアレスを中心とした継投策に似ている。

「85年もケガ人が出るなど、厳しいやり繰りが続きました。でも、バース、掛布、岡田のクリーンアップはシーズンを通じて奮闘してくれました。でも今は、大山、佐藤の打順を下げ、スタメンから外す試合もありました。

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