新選組の天才剣士・沖田総司も参考にした?柳剛流を興した剣豪・岡田惣右衛門のエピソード (2/5ページ)

Japaaan

諱は奇良(きりょう。寄良とも)、惣右衛門は通称で、また十内(じゅうない)とも呼ばれており、旅立つ際に故郷の惣新田から一文字とったのかも知れませんね。

さて、そんな惣右衛門は18歳となった天明2年(1782年)ごろに故郷から江戸に出て、剣客・大河原右膳(おおがわら うぜん)に入門。心形刀流(しんぎょうとうりゅう)を学びました。

剣術修行に明け暮れた惣右衛門(イメージ)

心形刀流は剣術のほか、二刀流、居合術、枕刀(小薙刀)術を伝えると共に、ただ型の見栄えだけでなく、心のあり方も重視しており、これが惣右衛門の思想や人格形成に大きな影響を与えたことでしょう。

やがて心形刀流を修めた惣右衛門は武者修行の旅に出て各地を巡り、三和無敵流(さんかむてきりゅう)、東軍新当流(とうぐんしんとうりゅう)などをモノにして自らの流派「柳剛流(りゅうこうりゅう)」を興しました。

柳剛流は柔よく剛を制するさまを柳の枝に喩えて剣術、居合術、杖術、薙刀術を伝え、その免許状に添えられた「柳に雪折れなし」の言葉が本質を表わしています。

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