前方後円墳は日本の独自デザイン/今から始める古墳入門(3) (3/5ページ)
前方後円墳が古墳の格としては頂点にあって、前方後方墳、円墳、方墳になるに従って格がどんどん下がっていくという感じです。方墳は7世紀以降に格が高くなりますが、蘇我氏系列の人の墓に用いられたことが一因です。たとえば、飛鳥の『石舞台(いしぶたい)古墳』などです」(河野氏)
目下、河合氏は、教科書には数年前まで出ていなかった「八角墳(はっかくふん)」に注目している。
「7世紀半ばぐらいに出現したとされて、『古墳時代終末期』の天皇陵とする研究者もいます。舒明(じょめい)天皇から文武(もんむ)天皇までの天皇陵は八角形をしていたと言われています。天皇は八方、つまり〝世界を支配する〟という意味で、天皇の陵墓に用いられた形と思われます」
さらに、埴輪を見れば、その古墳の時代がわかるようで、
「ヤマト王権の発展とともに、埴輪をはじめとした副葬品なども変わってきます。最初は、奈良の纏向など大和に多かった巨大古墳が、5世紀になると現在の大阪・堺などに移ってくる。支配者・権力者の姿も、その副葬品なども、最初の頃は、勾玉や鏡といった呪術的、司祭者的なものだったが、大阪平野の巨大古墳では武具や馬具だったり武器などに変わってきます。ヤマト王権が武力で各地を平定支配していく過程で、豪族に求められるリーダー像も、呪術を操る者から武人に変わっていったことの表れだと考えられます」(河合氏)
一方、大きなものをミニチュアにするという発想がカワイイと、まりこふんは、独自の埴輪愛を熱く語る。
「バラエティー豊かな埴輪は、現代のアートにもつながっている気がしますね」
埴輪の作られ方の違いを指摘するのは河野氏だ。