「いい子でいる必要はなかった」元球児の作家が見た「甲子園がなかった夏」(1) (3/3ページ)
話を聞きながら「それ、本当?」と相手にも自分にも問い続けていましたし、よくある「高校球児がよく言う発言」や「大人が喜びそうな発言」だと感じた時は突き返したこともありました。
彼らが大人の喜びそうな耳障りのいいことを言う一番大きな理由は、おそらく監督に嫌われないため。つまり、甲子園に通じる「人事権」を持っている大人に悪く思われたくないからでしょう。だけど、去年に限ってはその人事権を発動できない年でした。
――甲子園がなかったわけですからね。
早見:そうです。だから、本質的には選手たちも「いい子」でいる必要はなかったはずなんです。「コロナに甲子園という大事なものを奪われたなかで、最前線で生きているあなたたちが今の考えを言うのに、参考になる前例はないんだよ」ということは、彼らには常に伝えていました。
その上で「高校野球らしさ」なんて考えないで、自分の頭で考えた言葉を教えてほしいと。あとから「やっぱりあれは世に出してほしくない」という発言があったら、それは全部聞くよ、ということも繰り返し言っていましたね。
あとは、いかにこちらを信用してもらうかでした。そのために苦しくて仕方のなかった自分の高校時代の話もしましたが、幸いにもそれをおもしろがってくれる子が多かったです。僕自身は高校時代に周りにいた大人たちをまったく信用していなかったのですが、三ヶ月付き合ってみたら、みんな当時の僕ほどひねくれていなかった気がします(笑)。
――桐蔭学園時代は大会のメンバー入りできなかったという早見さんですが、当時去年と同じように甲子園がなくなり、夏は甲子園にはつながらない都道府県別の独自大会を行う形なっていたらどんな行動をとっていたでしょうか?
早見:僕なら夏を待たずに部を辞めていたかもしれません。チームメイトとは仲が良かったですけど、「甲子園はないけど、みんなで最後までやろうぜ」っていう空気ができればできるほど、カウンターとして「なぜ最後までやる必要があるんだ」と問うていたと思います。実際に辞めるかどうかはともかく、一度は辞める空気を作った気がします。
――それは天の邪鬼ですね。
早見:いわゆるイタい子どもだったんです(笑)。桐蔭学園の野球部は、最後の夏の大会にベンチ入りできないと決まった時点で、寮を出たい人は出ていいんですよ。僕は寮長でしたし、チーム内に居場所もあったので、みんな僕は最後まで寮に残るだろうと思っていたらしいんですけど、僕は寮を出ました。だから、当時甲子園がなくなるとなったら、やはり部には残らなかったんじゃないかなぁ…。
(後編につづく)