「忠義」はあくまで主君のために…武士道バイブル『葉隠』が教える忠義と奉公の心構え (2/3ページ)
(きっと勝茂公はいつも爪をひと指ごとに一発で切り、後はヤスリをかける習慣があったのでしょう)
「ふむ……おぉ、ここにあったぞ。これで揃ったか」
勝茂は喜左衛門の利発さを試すべく、実は一つ爪を隠しておいたのですが、さも今見つけたふりをして、喜左衛門に手渡します。
「ははあ、軽輩の身で差し出がましいことを申しました。しからば直ちに捨てて参りまする」
こうして喜左衛門は爪を捨ててきたのでした……。
忠義はあくまで主君のために二一 志波喜左衛門(最前は福山)御小姓役の時の事 勝茂公御代には、御家中の者、大身小身によらず、幼少の時分より御側に召し使はれ候。喜左衛門相勤め候時分、或時御爪を御切りなされ、「これを捨てよ。」と仰せられ候へば、手に載せ候て、立ち申さず候に付、「何ぞ。」と仰せられ候へば、「一つ足り申さず候。」と申し上げ候。「爰に在り。」とて、御かくし召し置かれ候を、御渡しなされ候由。
※『葉隠』巻第七より
……話はここで終わっており、『葉隠』では喜左衛門の振る舞いがよいとも悪いとも言及しておりません。
ただ、日ごろ無二無三に奉公せよと声高に叫んでいる山本常朝(やまもと じょうちょう。『葉隠』の口述者)ですから、この利発さをやや否定的に見ているものと思われます。