「忠義」はあくまで主君のために…武士道バイブル『葉隠』が教える忠義と奉公の心構え (3/3ページ)

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「それを『捨てよ』と命じているのであるから、黙ってそれを捨てればよいのだ。要らぬ気を利かしたつもりで、主君の渡した爪カスが『足りぬ』などと言うのは、僭越というものであろう」

もしかしたら、主君は爪を一つとっておいて何かに使うのかも知れないし、それは臣下の計り知るところではない……そんなところでしょうか。

すると中には「いやいや、主君とて時に間違えてしまうことがあるのだから、さりげなく確認して、その意に適うよう勤めてこそ真の忠義」という声もあるかも知れません。

であるならば「足りぬ」ではなく、例えば「爪カスがいくつある」などと伝えることで、主君が自ら(臣下に指摘され、恥をかかぬ形で)気づけるではありませんか。

「奉公とは、そこまでよくよく考え、気を回さねばならんのだ」

忠義とはあくまで主君のためであって、決して自分の「忠臣ぶり」「能臣ぶり」を見せるためではない……もちろん言うは易く、ですが、こういう心がけの積み重ねが、よりよい奉公を実現するのだと、常朝は言いたかったのでしょう。

終生の絆で結ばれた勝茂と喜左衛門主従(イメージ)

ちなみに、喜左衛門の名誉のために言い添えておくと、彼に悪気はなかったようで、その後も利発さを鼻にかけることなく奉公に励み、勝茂公が亡くなった際に追腹(おいばら。後を追って切腹すること。殉死)を切ります。

どこまでも純粋で、有能ながら不器用な鍋島武士らしい最期でした。

※参考文献:
古川哲史ら校訂『葉隠 中』岩波文庫、1941年4月

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