函館の厚生院墓地にある「天下の号外屋翁の墓」と書かれた真っ赤な墓 (2/2ページ)

心に残る家族葬

なぜなら、来ている衣類だけでなく、帽子や足袋まですべてが赤ずくめだったからである。彼は、日清戦争の頃に北海新聞の号外を函館市民にまいていた。そして、自身を天下の号外屋”とし「赤服」と呼ばれていた。どうして赤い色だったのだろうか。

■いつわりの無い心

中国の後漢書に「赤心を推(お)して腹中(ふくちゅう)に置く」という故事成語がある。これは、人を疑わないことのたとえであり、まごころを持ってすべての人に接することのたとえとして使用される。赤心とは、いつわりの無い心を意味しているのだが、信濃助治はそれを日本武道の精髄を表すとして、大切にしていたため、すべて赤色を用いたとのことである。よって、彼の墓も当人の遺志によって赤く塗られており、今なお年1回親族によって塗り替えられている。


■最後に…

この墓にまつわる怪しい噂があり、墓の裏の漢文を声に出して読むと祟られるというものである。しかし、裏面には、「大正元年八月建之 先祖 信濃忠左衛門 七代目 信濃助治 昭和四年六月五日午前五時没 行年六十八 妻 信濃シゲ 明治三十九年五月廿三日没 行年三十九」と書かれており、漢文ではなく通常のお墓の裏面と変わらず、どうやらこの噂はデマだったようだ。

「函館の厚生院墓地にある「天下の号外屋翁の墓」と書かれた真っ赤な墓」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る