遷都、遷都でやっとたどり着いた「平安京」…引っ越しの理由は?千年も続いたのはなぜ? (2/5ページ)
ちなみに、のちに桓武天皇は、最澄が中国から持ち帰った天台宗や、空海の真言宗を保護しています。密教系の仏教を奈良仏教に対抗しうる宗派として捉えたからです。
こうして、約70年間、日本の首都として機能した平城京は幕を閉じます。784(延暦3)年のことでした。
でも長岡京もダメ!怨霊にはかなわない
さて、長岡京に遷都したものの大事件が発生します。遷都の責任者だった藤原種継が785(延暦4)年に矢で射られて暗殺されたのです。事件の関係者として、奈良仏教と関わりがあったとされる貴族や皇族が何人も処罰されました。
そして処罰された人の中には、桓武天皇の弟である早良(さわら)親王も含まれていました。彼はかつて東大寺の僧侶だった経歴があり、奈良仏教関係者として疑われたのです。しかし彼は無実を訴え、島流しにされながらもハンストを試みて亡くなりました。
ここからケチがつき、桓武天皇の周囲で不幸は連鎖していきます。