遷都、遷都でやっとたどり着いた「平安京」…引っ越しの理由は?千年も続いたのはなぜ? (4/5ページ)
もっとも首都として「繁栄」し続けたかというとそうでもなく、貴族文化が終焉する頃には政治不安によって荒廃し、朝廷には既に遷都する体力も残っていなかったとする見方もありますが。
しかし少なくとも、平安京にはそれまでの平城京や長岡京と一線を画す優れた点がありました。海に通じる大きな河川の存在です。平安京の近くには淀川水系があり、どの河川を辿っても海がすぐそこにあるという地形だったのです。
となれば、船で全国からの物資を運ぶことができます。平安京は水路の要衝となり、商業や工業が盛んになりました。藤原京と平城京にはこうした河川はなく、物資の運搬は全て陸路に頼っていたのです。また、水を引けないため下水が整っておらず町は不衛生でした。
その点、長岡京は近くに大きな河川が三つもあり物資の運搬には事欠かなかったようです。まだ豊富な水のおかげで下水問題も解決できたのですが、逆にそれらの河川が原因で洪水になってしまったのです。
平安京が栄えて長く続いた大きな理由は、多くの人や物資が出入りすることで「商業都市」「工業都市」として発展したからです。その前の藤原京と平城京は水路がないため、せいぜい「政治都市」どまりでした。長岡京もいいところまで行ったのですが、災害に弱いという欠点がありました。
古代日本の遷都と言えば、なんとなく「大昔の人が迷信に惑わされ、怨霊や祟りから逃れるために引っ越しを繰り返した」というイメージがあります。