戦国時代のUMA?秀吉の大軍にただ一頭で立ち向かった羽犬伝説を紹介! (2/3ページ)
行く手を阻まれた秀吉は大いに怒り、何とか羽犬を退治しようと試みたものの、これがまたとても賢く、生半可な小細工が通用しません。
10万とも20万とも超える大軍が、たった犬一頭に手こずっていては天下の笑い者……何としてでも退治せねばと秀吉は精鋭を繰り出し、やっとの思いで仕留めることが出来たのです。
こうして先を急いだ秀吉ですが、「敵?ながらあっぱれ」と感心したのか、あるいは亡骸を粗末にしたら度量の狭さを笑われると懸念したのか、いずれにしても羽犬を手厚く葬りました。
その墓は羽犬塚(はいぬづか。現:宗岳寺の境内)と呼ばれ、やがて一帯の地名(筑後市羽犬塚)として定着、現代でも人々に親しまれています。
天下人の大軍が、犬一頭に手こずった……そんな羽犬伝説に、筑後人は反骨精神を満足させたことでしょうが、実はもう1パターンの伝承もあるそうです。
秀吉の愛犬だった?もう一つの羽犬伝承……秀吉が九州平定にこの地へ遠征してくるところまでは同じですが、羽犬は現地の獰猛な野犬ではなく、羽根も生えていない秀吉の愛犬だったと言います。
まるで羽根が生えているように元気いっぱいだったため、羽犬とあだ名されたそうですが、この地で病死してしまい、愛犬の死を悲しんだ秀吉が羽犬をねんごろに葬ったのが、現在の羽犬塚なのだそうです。