戦国時代のUMA?秀吉の大軍にただ一頭で立ち向かった羽犬伝説を紹介!

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戦国時代のUMA?秀吉の大軍にただ一頭で立ち向かった羽犬伝説を紹介!

翼の生えた空想上の動物と聞くと、何を連想しますか?

有名なところではギリシャ神話のペガサス(馬)やグリフォン(ライオン+鷲)、あるいは天使(人間)も動物と言えば動物でしょうか。

日本にはこういう伝承はないの?と思って調べてみたら、福岡県筑後市に羽犬(はいぬ)と呼ばれた犬がいたそうです。

羽犬塚小学校前の羽犬像。筑後市観光協会HPより

文字通り羽根の生えた犬なのだそうですが、今回はこのUMA(未確認生物)について紹介したいと思います。

敵ながらあっぱれ?秀吉の軍勢を相手に大暴れ

今は昔、戦国時代末期の天正15年(1587年)4月、島津征伐のため九州へとやってきた羽柴秀吉(はしば ひでよし。豊臣秀吉)の軍勢を、一頭の犬が遮りました。

その背中には鳥のような翼が生えており、自由自在に飛び回ってかねがね人を襲ったり家畜を喰い殺したりなどしたため、人々は羽犬と呼んで恐れていたそうです。

行く手を阻まれた秀吉は大いに怒り、何とか羽犬を退治しようと試みたものの、これがまたとても賢く、生半可な小細工が通用しません。

10万とも20万とも超える大軍が、たった犬一頭に手こずっていては天下の笑い者……何としてでも退治せねばと秀吉は精鋭を繰り出し、やっとの思いで仕留めることが出来たのです。

羽犬と秀吉(イメージ)

こうして先を急いだ秀吉ですが、「敵?ながらあっぱれ」と感心したのか、あるいは亡骸を粗末にしたら度量の狭さを笑われると懸念したのか、いずれにしても羽犬を手厚く葬りました。

その墓は羽犬塚(はいぬづか。現:宗岳寺の境内)と呼ばれ、やがて一帯の地名(筑後市羽犬塚)として定着、現代でも人々に親しまれています。

天下人の大軍が、犬一頭に手こずった……そんな羽犬伝説に、筑後人は反骨精神を満足させたことでしょうが、実はもう1パターンの伝承もあるそうです。

秀吉の愛犬だった?

もう一つの羽犬伝承……秀吉が九州平定にこの地へ遠征してくるところまでは同じですが、羽犬は現地の獰猛な野犬ではなく、羽根も生えていない秀吉の愛犬だったと言います。

まるで羽根が生えているように元気いっぱいだったため、羽犬とあだ名されたそうですが、この地で病死してしまい、愛犬の死を悲しんだ秀吉が羽犬をねんごろに葬ったのが、現在の羽犬塚なのだそうです。

果たして秀吉の敵だったのか愛犬だったのか……いずれの伝承も史料的な裏づけがないため真相は今後の究明を俟つよりないものの、100%事実ではないにせよ、ヒントとなる出来事があったろうことは想像に難くありません。

本当に秀吉は犬を飼っていた(羽柴の犬≒羽犬?)のか、当時、九州遠征時に野犬の被害でもあったのか、それとも何かの寓意なのか……。

はね丸。筑後市HPより

もし筑後市を訪れることがあったら、各地に点在している羽犬像やマンホール、公式キャラクター「はね丸」など、羽犬伝説を偲んでみるのも楽しいでしょう。

※参考:

羽犬伝説と羽犬の塚|筑後市 はね丸プロフィール|筑後市 秀吉に愛された犬とは!?筑後市「羽犬」に会いに行こう|福岡県|トラベルjp旅行ガイド

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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