知ってますか?「糸コンニャク」と「白滝」の違い。その由来と江戸時代に起きたコンニャク革命とは

Japaaan

知ってますか?「糸コンニャク」と「白滝」の違い。その由来と江戸時代に起きたコンニャク革命とは

「糸コンニャク」と「白滝」の違いは?

寒くなると鍋料理が恋しいですね。そして鍋や煮物に欠かせない具材が、糸コンニャクや白滝です。

ところでこの糸コンニャクと白滝、何が違うのかをきちんと知っている人はどれくらいいるのでしょうか?

私などは子供の頃、「糸コンニャクを買ってきて」と親からおつかいを頼まれたものの、いざ近所のスーパーに行ってみたら白滝しか売っておらず、困ったことが記憶があります。糸コンニャクと白滝ってそっくりだけど、どっちを買っていってもいいんだろうか……? と。

結論を言えば、糸コンニャクと白滝はまったく同じものです。違うのは名前だけです。

ではなぜ、同じものなのに名前が違うのでしょうか。その理由を探っていくと、材料である「コンニャク」そのものの歴史が見えてきました。今回はそんな食材の歴史の話をしたいと思います。

江戸時代の「コンニャク革命」

糸コンニャクと白滝は、どちらも「コンニャクを細長く加工したもの」です。

では、材料であるコンニャクは、いつ頃から食べられるようになったのでしょうか。これは縄文時代に中国から伝わってきたとか、仏教が伝来したあたりのタイミングで輸入されてきたとか、いくつかの説があります。でも証拠はありません。

国内の文献で初めてコンニャクのことが紹介されたのは、平安時代の承平年間(931~938)に作られた『倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)』です。当時はコンニャクに「古邇夜久」という和名があてがわれており、中国で3世紀に詠まれた詩を引用しながら、「蒟蒻(コンニャク)」の作り方と食べ方を紹介しています。

さて日本では、鎌倉時代にはお坊さんの精進料理として食べられるようになり、仏教が庶民に普及するのとあわせて広まっていきました。

ただ、庶民にも広まったとはいえ、コンニャクはもともとは薬として食べられていたようです。食物繊維を多く含む食べ物なので、整腸剤として用いられたのです。江戸時代には、1712(正徳2)年成立の百科事典『和漢三才図会』でコンニャクの効果が記されています。

『和漢三才図会』「醸造類」に収められている「蒟蒻」

薬ということは、普段の生活ではあまり食べないということです。それはなぜかというと、原材料のコンニャク芋の扱いにくさのせいだったと考えられます。コンニャク芋は寒さに弱く、日持ちしません。しかも素手で触れば肌が荒れることもありました。

ところがこの欠点を一挙に解決する方法が見つかり、コンニャクは一躍庶民の食べ物として脚光を浴びるようになります。現在の茨城県常陸大宮市にあたる、常陸久慈郡諸の藤右衛門(とうえもん、1745~1825)という農民が、「コンニャクを砕いて粉にする」というアイデアを思い付いたのです。

彼はこれを、コンニャク芋の切り口が白く乾燥しているのを見て閃いたそうです。そこで、コンニャク芋を輪切りにして乾燥させ、砕いて粉にするというアイデアをさっそく実践したのでした。

粉にすれば、生と比べた場合、同じ重量でも約10倍は濃縮した状態で長期間の保存ができます。また生のコンニャク芋を扱う機会も減りますし、丸ごとでは重いコンニャク芋も粉なら楽に運搬できます。

そして「糸コンニャク」「白滝」が誕生

それまでのコンニャクは、収穫後の短い期間に、収穫した場所の近隣のエリアでしか食べることができませんでした。しかしこの加工法によって、年間を通して全国各地どこでも食べられる食材へと変貌したのです。

この画期的な方法を編み出した功績を称えられて、藤右衛門は「中島」の姓を授かり、なんと茨城県久慈郡大子町には彼を祀った「蒟蒻神社」も建てられています。

蒟蒻神社(大子町観光協会ホームページより)

このようにコンニャクは革命的な変化を経て、庶民の食べ物として全国に普及していきました。1846(弘化3)年には、コンニャク料理の100のレシピが掲載された『蒟蒻百珍(コンニャクひゃくちん)』という料理本が出ているほどです。

そんな中で、コンニャクの加工品である「糸コンニャク」と「白滝」が誕生しました。

実は「糸コンニャク」は関西の呼び名で、「白滝」は関東での呼び名です。その呼び名の違いは、製造法に由来します。

糸コンニャクは、コンニャクを包丁で細長く切って作られていました。一方、白滝は、穴の開いた容器にコンニャクを入れてトコロテンのように押し出して作ります。この、押し出される時の様子が白い滝のように見えたので「白滝」と呼ばれるようになったのです。

しかし現在では、糸コンニャクも白滝も同じ「押し出し方式」で作られています。試しに糸コンニャクの製造会社のホームページを覗いてみると、どこも今説明した白滝の作り方と同じやり方で製造しているのが分かります。

ですので今では、「糸コンニャク」と「白滝」を区別するものは何もありません。それぞれの名前は、単なる商品名でしかないと言えるでしょう。

とはいえ、食材や調理法の歴史を知ると、今までは脇役だとしか思っていなかった具材や、当たり前のようになにげなく食べていた料理も途端に味わい深く感じられるものです。

この原稿を書いている時点で10月も後半。今年の秋冬は昔の人のことに思いを馳せながら、糸コンニャクあるいは白滝が入った鍋料理や煮物を味わってみてはいかがでしょう?

参考資料

江戸時代に起きた「こんにゃく」史上最大の革新とは|食の安全|JBpress こんにゃくの歴史|蒟蒻豆知識|広島でこんにゃくの製造・販売・商品開発・卸売 寿マナック(株) こんにゃくの歴史について – 株式会社関越物産

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「知ってますか?「糸コンニャク」と「白滝」の違い。その由来と江戸時代に起きたコンニャク革命とは」のページです。デイリーニュースオンラインは、日本語・日本文学由来語源カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧