戦国時代で唯一落城しなかった最強要塞の城で起こった武将・石田三成との激闘

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戦国時代で唯一落城しなかった最強要塞の城で起こった武将・石田三成との激闘

戦国時代、唯一落城しなかった城をご存じでしょうか?

名将軍として名を馳せ、日本を統一した豊臣秀吉ですら落城させることのできなかった城です。

今回はそんな最強要塞の城「忍城(おしじょう)」で起こった戦いについて紹介します。

忍城 模擬御三階櫓

忍城

忍城とは、今回紹介する「木崎原の戦い」の舞台となり、現在の埼玉県行田市にあったとされる城のことです。城の周辺は荒川や利根川に囲まれており、扇状地の沼は自然堤防として高い防御力がありました。

何度も城攻めを受けましたが一度も落城せず、豊臣秀吉が唯一落とせなかった城としても知られています。

また、戦国時代では関東七名城 の1つ として数えられるほど美しい城だったとか。

戦いの発端

「本能寺の変」のあと、秀吉は四国征伐や九州征伐を成し遂げ日本全土を「ほぼ」統一しました。

そして秀吉は、最後まで反抗する北条家を倒すため小田原城へ攻め込みます。この時、秀吉は小田原城だけでなく、周辺の「支城」も同時に攻撃しました。

石田三成の城攻め

石田三成

1590年、北条家の支城であった「忍城」を石田三成が攻めています。三成率いる軍勢は約2~5万、対して忍城側はたったの2,000~3,000人。

圧勝かと思われた三成軍でしたが、川を横断して沼を超えたときには疲労困憊で、まともに城を攻めることができませんでした。

豊臣秀吉の水攻め作戦

戦況が思わしくない三成のもとに、秀吉から「水攻めをしろ」との命が届きます。

というのも忍城は川に挟まれているため水を集めやすく、水攻めをするのに最適な環境だったのです。

そこで三成は周辺の庶民を金で買収し、4~5日の間に石田堤とよばれる堤防を作り上げます。

しかし想定したよりも忍城は沈まず、城が浮いているように見えたことから、のちに「浮城」とよばれるようになったという説もあるほど。

思いのほか沈まなかった忍城ですが、降りはじめた大雨のせいで水かさが増し、ピンチに陥ります。

大雨の影響で忍城ピンチ

大雨で沈みはじめた「忍城」のピンチを救ったのが、映画「のぼうの城」の主人公のモデル「成田長親」で、忍城の城主・成田氏長の従兄弟でした。

農作業が好きで農民の手伝いするのですが、不器用でかえって邪魔をしてしまうことから「でくのぼう」や「のぼう様」とよばれていたようです。しかし、おおらかな人柄で人々からは愛されていました。

長親は敵にバレないよう堤防に穴をあけて水を掃こうと提案します。映画やドラマでは、この時、敵の気を引くために長親が小舟に乗って田楽踊りをするシーンが描かれていますが、実際は「思ったより水が少なくてよかった」と宴をしていたのだとか。

また、放流は成功し、三成軍300名ほどが水に流され命を落としました。

健闘するも敗北した忍城

開戦から1か月経っても忍城を落とせない三成のもとに、「上杉景勝」や「前田利家」率いる大部隊も駆けつけますが、長親たちの籠城は続きます。

しかし北条家が降伏したことで、忍城の城主・氏長が長親や庶民を説得し、開城したことで木崎原の戦いの幕が下りました。

その後、秀吉が日本を統一して南蛮文化が栄えていきますが、それはまた別の機会に。

成田長親の活躍に触れる

10倍ほども差のある三成軍に抵抗し、宴まで開いた長親たちの勇士は、現代もドラマや映画となり語り継がれています。

今回の記事を読んで長親に興味を持たれた方はぜひ、映画「のぼうの城」をはじめとする作品にて、その活躍に触れてみてください。

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