槙原寛己「二刀流はやれて30歳まで。あと2、3年で決断の時が来る」 (2/2ページ)

Asagei Biz

今、27ですから、あと2、3年で決断の時が来ますね。

テリー なんでですか?

槙原 引き金になるのは、ケガじゃないですか。今みたいな出方を続けてたら疲労が蓄積して、大きなケガをしてしまうと思うんです。今年は「二刀流なんてムリだ」と言われ続けたことに対して「絶対に見返してやる」という強い気持ちもあって、それを支えに頑張れたと思うんですが、2、3年でどちらかに専念することになるでしょうね。

テリー ということは、長く続けられるのはバッターですよね。

槙原 バッターですね。

テリー 僕、すごく不思議なんですけど、彼はあんなに甘いマスクで、全米も注目する大スターじゃないですか。それなのに浮いた話が全然ないですよね。日本だったら、普通は先輩に連れられて銀座に飲みに行くとかさ。

槙原 日本にいた時から「いや、実は裏で」みたいな話は全然聞かないですから、ほんとに野球が好きなんでしょうね。今は向こうにいることによって、日本のマスコミに追い回されなくて済むから、野球に集中できる。彼にとってはすごくいい環境なんじゃないですか。

テリー コロナもあってマスコミも追えないしね。

槙原 だから家に帰ってゲームやってるのか、何してるのかわからないですけど、それが苦じゃないんでしょうね。それも彼の素質だと思います。

槙原寛己(まきはら・ひろみ)1963年、愛知県生まれ。愛知県立大府高校卒業後、ドラフト1位で読売ジャイアンツへ入団。初登板で初完封、その年に12勝を挙げ、当時の日本最速である155キロを記録するなど、藤田・王・長嶋監督のもとで、巨人黄金時代を支える投手として活躍した。94年、対広島戦で20世紀最後の完全試合も達成。98年、シーズン途中からリリーフへ転向し、01年に現役を引退。現在は野球解説者として、プロ野球、メジャーリーグなどの解説で活躍中。

*「週刊アサヒ芸能」11月4日号より

【写真ギャラリー】大きなサイズで見る
「槙原寛己「二刀流はやれて30歳まで。あと2、3年で決断の時が来る」」のページです。デイリーニュースオンラインは、槙原寛己大谷翔平野球スポーツなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る