始皇帝の生まれ変わり?神の中の神と讃えられた秦河勝のエピソードを紹介
古代日本の伝説的政治家・聖徳太子(しょうとくたいし)の片腕として文武両道の活躍を見せた秦河勝(はたの かわかつ)。
秦という姓の通り、中国大陸から渡来してきた一族なのですが、その名づけ親は欽明天皇(きんめいてんのう。第29代)だという伝承があるそうです。
一体どういうことなのか、今回はそれを調べて紹介したいと思います。
始皇帝の生まれ変わり?奔流から拾われた奇跡の赤子今は昔、大和国(現:奈良県)の初瀬川(はつせがわ)が氾濫し、大神神社(おおみわじんじゃ。現:桜井市)の前に一人の赤ん坊が流れ着いたそうな。
「可哀想に、両親はさぞや嘆き悲しんでいるだろう……」
「いや、もしかしたら何かのご神意やも知れぬ……」
という訳で、その子を朝廷へ連れて行ったところ、欽明天皇がこんなことを言いました。
「そう言えば、前にこんな夢を見た……」
夢によれば、欽明天皇の前に一人の童子が現れて「吾は秦(しん)の始皇帝(しこうてい。嬴政)の再誕(生まれ変わり)なり、縁有りてこの国に生まれたり」と言ったのだとか。
「もしかしたら、その子がそうなのかも知れない」
いやいやまさか……と誰もが思いましたが、それにしても荒れ狂う初瀬川の奔流にただ一人投げ出された赤ん坊が、傷一つ負わずにここまで流れ着いたというのは、奇跡と言うにはあまりにも不思議です。
やはりそうなのだ……この子には秦(はだ)の姓(かばね)が授けられ、また川の氾濫にも負けなかったことから、河勝と名づけられたのでした。
カルト宗教「常世神」を根絶そんな生い立ちからして只者ならざる秦河勝は、皇極天皇3年(644年)にこんな噂を耳にします。
「常世神(とこよのかみ)をお祀りすれば、尽きることのない富と永遠の若さが得られる」……とか何とか。
噂の発生源は駿河国不尽河(現:静岡県富士市)辺りの住人・大生部多(おおうべの おお)。
『日本書紀』によると、常世神とは柑橘類や山椒の木によくいる親指くらい(長さ四寸余り≒12~13センチ)の虫で、蚕(かいこ)とよく似た形で緑色をしており、黒い点がある……とのこと。
どう見てもアゲハチョウの幼虫ですが、その気持ち悪さこそが却って霊性のあらわれなのだとか何とか、富と若さを求める人々はこぞってアゲハチョウの幼虫をつかまえては祭壇に祀ったそうです。
ようやるわ、そんなん騙されるヤツいんのか……と思ってしまいますが、いつの世にもカルト宗教にハマってしまう者はいるもので、全財産を差し出して恍惚と踊り狂った挙げ句、路頭に迷う者が続出したと言います。
「善良な人々を騙して、財産を巻き上げるとは許せん!」
義憤に燃えた秦河勝は大生部多をとっ捕まえてボコボコに打ち懲らしめて、手下の巫女たちともども一切の悪行を止めさせたのでした。
神の中の神と呼ばれる「……そなたらもそなたらだ。虫を祀って踊り狂えば富と若さが手に入るなどと愚かなことを考えるでない。汗水流して暮らしを立て、歳を重ねて命をまっとうする生き方こそ人間の真・善・美に他ならんのだ!」
まやかしの神に心を動かされることなく、毅然と社会正義を訴えた秦河勝の姿に、人々はこんな歌を詠んだそうです。
太秦(うずまさ)は 神とも神と 聞こえくる
常世の神を 打ち懲(きた)ますも※『日本書紀』より
【意訳】秦河勝は「神の中の神」と評判である。何せあの常世の神(を広めた大生部多)を打ち懲らしめたのだから……。
たとえアゲハチョウの幼虫でもいいから、何かにすがりたくなる人間の弱さを叱咤した秦河勝。
そんな精神を備えていたからこそ、聖徳太子をよく補佐して古代日本の柱石となったのですが、現代の私たちも見習いたいものですね。
※参考文献:
宇治谷孟『日本書紀(下)』講談社学術文庫、1988年8月 世阿弥『風姿花伝』岩波文庫、1958年10月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan