今でもあなたを…身分違いの悲恋を引き裂かれながらも互いを想い続けた平安貴族のエピソード
「身分違いの恋」なんて聞くと、ついつい結ばれて欲しい、思いを果たして欲しいと我がことのように願ってしまうのが人情ながら、往々にして許されないのが人の世の常というもの。
そんな悲恋は今も昔も変わらなかったようで、辛い思いを早く忘れようと遠ざかる者が多い中、叶わぬ思いを抱えながら、いつまでもそばに寄り添う者もいたそうです。
今回は平安文学『伊勢物語(いせものがたり)』より、とある翁(おきな)のエピソードを紹介したいと思います。
神代のことも 思ひ出づらめ……二人だけの思い出を込めた歌今は昔、二条皇后(にじょうのきさき)こと藤原高子(ふじわらの たかいこ)が春宮(皇太子。後の清和天皇)の御息所(みやすんどころ。ここでは愛妾の意)と呼ばれていたころのこと。
彼女が藤原の氏神様である奈良の春日大社へお参りになった時、従者たちに褒美を与えるため、近衛府に仕えている翁を呼び寄せます。そして彼は褒美を受け取ると、一首の和歌を詠みました。
大原や 小鹽(おしお)の山も けふ(今日)こそは 神代(かみよ)のことも 思ひ出づらめ
【意訳】このすばらしい紅葉を見ていると、ついつい遠い昔のことを思い出してしまいますなぁ……。
※大原とは春日大社を指し、小鹽の山は大原にかかる枕詞(まくらことば。お決まりのフレーズ)。
かつて二人が愛し合った思い出は遠く神代(神話時代)のようですが、私は昨日のように思えて、今でも忘れがたくいる……そんな翁の胸中を知って、高子は人知れず涙を耐えるのでした。
東国へ駆け落ちするも……引き裂かれた二人の悲恋七十六
昔、ニ條の后の、まだ春宮の御息所と申しける時、氏神にまうで給ひけるに、近衛府にさぶらひける翁、人ゞの禄たまはるついでに、御車よりたまはりて、よみて奉りける。
大原や小鹽の山もけふこそは神代のことも思ひ出づらめ
とて、心にもかなしとや思ひけむ、いかゞ思ひけむ、知らずかし。※『伊勢物語』より
……この翁の正体は「体貌閑麗、放縦不拘(※ハンサムで優雅、そして自由奔放…『日本三大実録』より)」と謳われた貴公子・在原業平(ありわらの なりひら)。
高子を背負って逃げる業平。後ろから追手が迫っている。月岡芳年筆
17歳という歳の差(※)ながら、惹かれ合って東国へ駆け落ちするも、藤原一族の追手に捕まり引き離されてしまったのです。
(※)業平は天長2年(825年)生まれ、高子は承和9年(842年)生まれと言われています。
その関係ゆえに高子は清和天皇への入内(じゅだい。天皇陛下と結婚し、内裏へ入ること)が遅れてしまいましたが、入内の後も、互いにあの時の思いが忘れられなかったのでしょう。
言わぬが花とは言うものの、言わでおかれぬ思いもあります。これで思い残すことなく道を別った二人は、それぞれの人生を歩んでいったのでした。
※参考文献:
大津有一 校注『伊勢物語』岩波文庫、2014年5月 鈴木琢郎『古代日本の大臣制』塙書房、2018年10月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan