死んだ方がマシだった?大坂城を脱出した淀殿の悲劇的な生存説を紹介 (3/4ページ)
かくいう越中守は天文15年(1546年)生まれなので、落城時点で70歳。現代でもじゅうぶん老齢ですから、40代後半の淀殿は魅力的すぎたことでしょう。
「誰か!誰かある!」
「グヘヘ……いくら泣こうが喚こうが無駄じゃ。そなたに味方する者など、この城内に一人もおらぬ。何ならただちにそなたを捕え、徳川様に引き渡してもよいのだぞ……」
「くっ、殺せ!」
「そうはいかん。せっかく手に入れた美女を、みすみす手放してなるものか……」
とまぁそんな具合に、淀殿をあれやこれやと楽しんだ越中守はすっかり満足したのですが、辱しめに耐えられなかった淀殿は、利根川の流れに身を投げ、命を絶ってしまったのでした。
終わりにかくして、せっかく大坂城から脱出できたにも関わらず、より悲劇的な末路をたどったとされる淀殿生存説ですが、彼女の墓は秋元家の菩提寺である元景寺(げんけいじ。現:群馬県前橋市)にあります。