死んだ方がマシだった?大坂城を脱出した淀殿の悲劇的な生存説を紹介 (4/4ページ)
また、淀殿が脱出の際に乗ってきたという駕籠の引き戸も同寺に残されており、金銀の糸を用いた内張りには、豊臣と実家・浅井(あざい)両家の紋が入っているそうです。
ちなみに、このエピソードだけだと単なるスケベ爺ぃと思われてしまいそうですが、秋元長朝は利根川から水を引いて領内の収穫量を大きく増やし、民の暮らしを豊かにした名君として地元で慕われています。
その後、元和8年(1622年)に嫡男の秋元泰朝(やすとも)に家督を譲って隠居、寛永5年(1628年)8月29日に83歳で世を去ったのですが、あの世で淀殿から復讐を受けたのでしょうか。
※参考文献:
桑田忠親『桃山時代の女性』吉川弘文館、1996年1月 「歴史の真相」研究会『おもしろ日本史大全』宝島社、2021年10月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan