【明智光秀のメンタルカルテ】光秀はジキルとハイド!?ブラック労働が「本能寺の変」の引き金か (1/4ページ)
明智光秀(あけちみつひで)といえば、本能寺の変の首謀者。主君を裏切り、こともあろうに命まで奪った、卑劣極まりない人物として描かれることも少なくありません。
しかし最近では、明智光秀もまた被害者であったとする説も浮上しています。その真相に迫るべく、明智光秀のメンタルカルテを覗いてみましょう。
ジキルとハイド!?明智光秀の光と影明智光秀は、美濃の国、今でいう岐阜県の出身です。
享年55歳。
当時としては、比較的長生きしたと言えるでしょう。そんな明智光秀に対する評価は、まるで別人に対するものの様に二極化しています。
良き父であり良き上司な明智光秀明智光秀といえば、性格は真面目で職務や上司に対しても忠実そのもの。勤勉さから学問や芸事も極め、鉄砲の名手としても知られていました。
また明智光秀の叔母は、斎藤道三の妻です。そして斎藤道三の娘である濃姫は織田信長の妻となっています。
このことから、明智光秀は斎藤道三・織田信長両名とも親戚関係にあります。当時の名将を親族に持つ明智光秀。親族関係に気疲れすることもあったことでしょう。
それでも明智光秀は、常に自らに課された責務を全うすることだけに尽力しました。
真面目で、何をやってもとことん極める。
上司に忠誠を誓い、全力で結果を残す。それでいて家族や家臣に対しても温厚。
これ以上いい男がいるのか?と言いたくなるほど、文武両道を極め、豊かな人格を持った明智光秀。絵に描いたように理想的な人物でした。