ほったらかしの満州事変!?軍部の暴走を招いた日本人の不運な選択 (2/4ページ)
するとその関東軍の動向を見た民政党は情勢を甘く見るようになり、「関東軍も意外と大したことないな。これから政友会と手を組まなくても何とかなるかも」と考え始めます。
で、政友会も、どのみち満州事変の拡大を止めたら民政党の手柄になるので面白くない。結局、連立内閣を作る話はパーになります。
この時、与党の中でも連立を組むか組まないかで意見が分かれてしまい、党運営が立ち行かなくなったことから、当時の若槻礼次郎(わかつき・れいじろう)首相は政権を投げ出してしまいます。1931(昭和6)年のことです。
さあ、総選挙です。1932(昭和7)年、ここでこれまで野党だった政友会は、先述の通りの関東軍の動向を見て「満州事変は選挙の争点にしなくてもいいだろう」と判断します。
ここにはひとつの錯覚もありました。国民は満州事変の動向に関心があり、事変のことを記事にすると新聞がよく売れたといいます。これにより、「国民は関東軍を支持している」ようにも見えたのです。
ただ、国民が関心を注いでいたのは、世界情勢そのものよりも「身内の安否」の方だったようです。
よって政友会は、景気対策を前面に押し出します。当時の日本は長引く不況にあえいでおり、政友会が与党になれば景気が良くなる、と国民に対してアピール。満州事変対策は、選挙公約の端っこに申し訳程度に記されました。
かくして政友会は大勝します。首相は犬養毅です。