ほったらかしの満州事変!?軍部の暴走を招いた日本人の不運な選択 (3/4ページ)

Japaaan

犬養毅(Wikipediaより)

犬養は、満州事変への対応をかなりがんばっています。選挙の時は満州事変対策について強硬な姿勢を見せたものの、首相就任後は独自ルートを使って穏健な路線で解決を図ろうとしています。

しかし時は遅すぎ、また内部でのいざこざもあって1932(昭和7)年3月に満州国建国という既成事実が作られてしまいます。

また日本国内でも、これと歩調を合わせて要人暗殺テロとクーデター未遂が発生していました。血盟団事件と五・一五事件です。当時の与党と野党が党利党略に走って、満州事変処理にもたついたことで、事態はほとんど取り返しのつかないところまで来ていました。

しかも五・一五事件の時はまだ日本は不況のただなかにあり、なんと国民は「党利党略に走る政治家よりも軍人の方が国民のことを思ってくれている」と思い込んで、事件の犯人たちを擁護し助命嘆願までしたのでした。

ただ皮肉なことに、間もなく日本の景気は上向いてきます。高橋是清蔵相による積極財政政策で、数年後には日本は世界に先駆けて不況を脱しました。1936(昭和11)年に起きた二・二六事件では、五・一五の時ほど実行犯たちは同情されず、むしろ国民からは「せっかく景気が上向いている時期に何やってるんだ」と思われたそうです。

関東軍、政治家、国民のそれぞれの思惑のずれ

こうして見ていくと、よく言われる「昭和初期は軍部が独走して、クーデターとテロを繰り返したことで軍国主義になっていった」という見方はあまりにも単純すぎることが分かります。

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