時代劇は間違いだらけ…蕎麦屋にテーブルはないし、裁きのお白洲は外ではなかった!? (2/3ページ)
○で囲った箇所に「この上天井」とあります(町奉行所図、国立国会図書館)
ではなぜ白洲は外というイメージになったかというと、時代劇の撮影で屋内照明を準備するのが大変だから、ということのようです。確かにうつむく下手人の顔をどう照らすか考えるのは面倒ですね。
江戸といえば町人文化、町人といえば蕎麦。
蕎麦屋といえば格子状の衝立で仕切られ、木製の四角い背もたれのない椅子に座り、木製のテーブルの上で蕎麦をずるずるっとやる、現代の蕎麦屋とあまり変わらない光景を想像する人も多いでしょう。
しかーし、テーブルとイスというものは、西洋から入ってきたものです。撮影ではいかにも日本的な色や素材を使っているので違和感なく見ることができてしまいますが、近代の日本まで無かったものです。
では昔の人はどうやって食べていたのでしょうか?
浮世絵をみると、台に座り、お盆に載せられた椀を手に取りそのまま食べるというスタイルです。今でも伊勢の「赤福」など、由緒ある和菓子屋さんなど、このスタイルで供している店も少なからず存在しますね。