スピリチュアルの胡散臭さと危険性は一切否定の余地なしではあるが… (2/3ページ)
正式な師にも付かず、神秘体験をしたいと密教の瞑想やクンダリニー・ヨーガなどに手を出せば心身に異常をきたす可能性がある。他者との交流が無いため自意識の肥大にも陥りやすい面も指摘したい。
精神世界や神秘体験などには深い沼があるのだ。占いやパワースポットで収まればよいが、人格や人生に弊害が生じては遅いのである。
■スピリチュアルの必要性
これだけスピリチュアルの弊害を述べてもなお、必要であると考える。科学的唯物論にも弊害はあるからだ。唯物論では意識は脳内の電気反応、霊魂は幻覚、あの世・生まれ変わりはおとぎ話。人は死んだら土に還るのみ…云々。潔よいには違いない。しかしそこまでクールに割り切れるか。魂がない人間はAIと何が違うのか。さらに目に見えない超越的な存在への畏敬の念も消えてしまえば、それらを敬い感謝する必要もなく、畏れることもない。その果ては快楽主義、金銭至上主義が待っている。人生一度きりなら欲望の赴くままに生きた方が得というわけだ。それでも楽しんだまま死ねればよいが、そうもいかない。死はあらゆるこの世の快楽を否定する。死は唯物論の次のステージである。そこに支えが何もなく耐えられるだろうか。また普段生きる上でも、この世を超えた世界を意識することで見方が変わる場面があるはずだ。苦しくても置かれている状況でも意味を見出したり心が豊かにもなれる。
■伝統宗教を通してスピリチュアルと安心安全に付き合う
安心安全なスピリチュアルライフを送るには、スピリチュアル的な世界と無難に付き合うことである。あくまでその一案としてだが、仏教、神道、キリスト教など伝統宗教。その本家本元の宗派教派の門を叩くことを提案したい。つまり高野山真言宗、浄土真宗本願寺派、ローマ・カトリック教会などである。元々は伝統的な宗派であっても分派したものの中には、悪い意味での新興宗教と変わらないものもあるので注意が必要である。要するに歴史があり地域にも浸透しているメジャーな神社仏閣教会なら間違いない。
そのような場所では正式に入信しなくても、法話会、座禅会、ミサ、勉強会などに参加できる。これらは無料か精々ワンコインである。