スピリチュアルの胡散臭さと危険性は一切否定の余地なしではあるが… (3/3ページ)

心に残る家族葬

後発の新興宗教団体は強引な布教や商法に走る傾向が強くなるが、古くからの檀家や氏子らに支えられている伝統宗教にその必要はなく、部外者も気楽に参加できる。寺や教会では様々な人と触れ合え、脱組織化、個人化による弊害も解消できる。さらに長い歴史を通じて良くも悪くも毒気が抜かれており、空中浮揚やら難病回復やらの強烈なインパクトがない。若者には物足りないかもしれないが、生半可な瞑想などで陥る危険もなく安全であるし、自意識の肥大化などの大きな問題も起きにくい。また、これはという宗教宗派の入門書を読み、より高度で奥深い理論書などを読めるようになれば知的好奇心を刺激されるだろう。日本仏教の檀家制度などは批判の槍玉に挙げられがちだが、このような安心安全なスピリチュアルライフを提供する基盤であるともいえるのだ。

■伝統宗教以外を否定しているわけではない

なお、新興宗教や、組織に属さない個人化がすべて悪いと言っているわけではない。大手の新興宗教団体の持つコミュニティは孤独死などを防止する機能があると筆者は考えている。この点についてはこちらで述べている通り、伝統宗教の腰は重いと言わざるをえない。その上で、確たる信念がない一般的な人が、スピリチュアルな世界を求めて玉石混交の新興宗教に関わるのはリスキーな面が多いように思える。個人化についても占いやパワースポットなどを楽しむ程度なら良いが、それ以上の深みに踏み込んで、心身の危険や自意識の肥大化に直面するリスクは常に存在する。

■伝統宗教の役割

スピリチュアルブーム自体が慣習化された伝統宗教の古臭さ、堅苦しさへの反発が根底にある。しかし、他方ではパワースポットとしての神社仏閣巡りは定番となり、仏像を愛でる人も増えてきたようだ。先日もNHKでアイドルが仏像を巡る特集が組まれていた。スピリチュアルとは無難に付き合うのが一番である。何も最終解脱をしたり宇宙と一体になる必要はない。安心安全に、この世ならざる世界を楽しめばよいのではないか。その意味では伝統宗教側の責任は大きい。

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