関根勤独占インタビュー「昭和お笑い四天王の“人生を変えた”マル秘素顔」

日刊大衆

関根勤
関根勤

 その人柄とマニアックなモノマネで、年齢性別を超えて愛されるタレント関根勤さん。その原点とも言うべき、昭和のレジェンド芸人たちについて今回、特別にお話をうかがった。

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 僕がこの世界に入ったきっかけは『ぎんざNOW!』(TBS系)という番組の名物コーナー「しろうとコメディアン道場」に出たことでした。アマチュアがお笑いのネタを披露し、チャンピオンを決めるんですが、僕は運よくここで5週勝ち抜いてしまったわけです。

 そして、審査員の一人だった芸能事務所の社長にスカウトされたんです。その事務所こそ、僕が現在、所属している浅井企画です。

 つまり、僕にはデビュー前の下積みもなければ、師匠もいません。当然、その後は苦労しました。それでも、なんとかやってこられた理由の一つは、自分が子どもの頃から、ずっとテレビで見てきた素晴らしい喜劇人の記憶、さらには、そうした方々の笑いをナマで体験したことかもしれません。彼らが僕の師匠であり、大きな影響を受けています。

 中でも初代林家三平師匠、てんぷくトリオさん、ハナ肇とクレージーキャッツ、コント55号は、僕にとって“お笑い四天王”とも言うべき別格の存在です。

 四天王の中で最初に衝撃を受けたのは、初代の林家三平師匠。「昭和の爆笑王」とも呼ばれた方です。

 若い頃は三平師匠も古典落語をやっていましたが、なかなかうまくいきません。それであるとき、高座で突然、立ち上がり、しゃべり始めてしまったんだとか。しかもしゃべるのは古典落語ではなく、フリートークのようなものばかり。そして、これがウケたんです。でも、席亭がこれを許さず、どこの寄席も出入り禁止。ところが、三平師匠の「どうもスイマセン」をはじめとするギャグは、ブラウン管を通してバカウケし、大スターになっていきました。それで席亭も軟化し、再び寄席に戻ってもらったというわけです。

 僕も三平師匠のギャグをテレビでさんざん見て育ちました。そして、一度だけ、神楽坂にあった毘沙門天ホールでナマの三平師匠を見ることができたんです。

 現在発売中の『週刊大衆』12月20日号では、関根さんの心がほっこりするインタビューの続きを掲載している。

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