【鎌倉殿の13人】カッコよすぎる!謀叛容疑のピンチをチャンスに変えた畠山重忠の堂々たる答弁がコチラ (2/5ページ)

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その後数々の武勲を立てましたが、文治3年(1187年)11月、部下の乱暴狼藉がキッカケで謀叛を疑われてしまいました。

一ノ谷の合戦で、愛馬を担ぎながら断崖絶壁を駆け下りた(と伝わる)重忠。歌川国芳筆

今まで清廉潔白を身上としてきた重忠にとってこれは耐え難い恥辱であり、所領に引き篭もって謹慎していたことが、ますます謀叛の準備に見えてしまうという悪循環。

「……畠山の本心を確かめるべきか、あるいはいっそ討つべきか、皆の意見を聴きたい」

頼朝公は11月15日、小山朝政(おやま ともまさ)、下河辺行平(しもこうべ ゆきひら)、結城朝光(ゆうき ともみつ)、三浦義澄(みうら よしずみ)、和田義盛(わだ よしもり)らの御家人を招集。緊急会議の席で真っ先に重忠を弁護したのが結城朝光でした。

「畠山殿は天性の廉直さを備えた高潔の士で、その言動は道理に適っており、大義なく私欲で謀叛を企むような男ではありません。むしろそんな彼を疑った事をこそ恥ずべきではないでしょうか」

まぁ、そこまで言うなら……と頼朝公は日ごろ重忠と仲の良い下河辺行平を使者として派遣します。

出来る事なら、重忠なんて強敵を相手にしたくないのが本心ですから、どうか無実であって欲しい(あるいは謀叛を企んでいるなら説得して欲しい)とみんなが願っていたことでしょう。

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