そりゃ祟りたくもなる…”毒親育ち”の崇徳天皇が最恐の祟り神になってしまった理由 (3/4ページ)
後に保元の乱で、崇徳天皇と後白河天皇は直接対決しています。この保元の乱で崇徳天皇は惨敗し、朝廷に逆らった罰として島流しの刑を受けました。
可愛さ余って憎さ百倍!?
讃岐国に島流しになってからというもの、崇徳天皇は写本に没頭しています。
ある日崇徳天皇は、弟のためにと5種類のお経を書き写した本を作成し、京都に届けました。ところが後白河天皇は、「呪いがかかった薄気味悪い写本だ。」と蔑み、突き返してしまいます。
これを知った崇徳天皇は怒り狂います。自ら舌を噛み切ると、その血で冒頭の文章を綴りました。
自らの耳を切り落とした画家のゴッホにも通じるメンヘラぶり・・・。
こうして崇徳天皇は、生きながらにして妖怪天狗となったともされています。