偉人かはたまた人格破綻者か…やっぱりいろいろスゴいぞ!野口英世

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偉人かはたまた人格破綻者か…やっぱりいろいろスゴいぞ!野口英世

「偉人」野口英世!?

時代によって、「偉人」の評価もいろいろ変わってくるのは面白いですね。

例えば今、図書館の子供向けの伝記コーナーに行くと、ひとつ前の世代にとっては見たことも聞いたこともない人が「偉人」として取り上げられていたりします。しかも、その中にはなんと「漫画家」が含まれていたりするのでますますびっくりします。

逆に、子供の頃はすごく偉い人だったと言われている人について、研究が進んだりすることで実はとんでもない奴だったことが判明している、ということも多くあると思います。

例えばジョージ・ワシントンの「桜の枝」のエピソードは作り話だったとか、石川啄木は人間のクズだった、とか。あと、伊藤博文の女好きとか(これは本人も全然隠していませんが)。

で、そんな「後世になって評価がガラリと変わった人」の中でも、石川啄木と並んで有名なのが野口英世でしょう。

野口英世と母シカ (野口英世記念館蔵・Wikipediaより)

私が子供の頃に読んだ伝記では、幼少の頃に大やけどを負ったものの、その苦難に耐えて勉学に励んで研究者になり、感染症の研究に注力しているうちに自らも罹患して命を落とした……という「偉人」として描かれていました。

大枠ではそれで間違いないのですが、もう少しだけミクロな視点で見てみると、野口は違う意味で相当な「大物」だったことが分かります。

猪苗代湖の近くの貧農の家庭に生まれた野口英世は、幼い頃の火傷で左手が不自由でした。この火傷について、実母はずっと罪悪感を抱いていましたが、英世はそんな母にずっと愛情を注ぎ続けています。

昔、子供の頃に読んだ伝記では、この左手を治してもらったことに感動したことが理由で医学の道に進むことを決めた……と書いてあったような気がするのですが、この、英世にとって「左手の火傷」というのは、一種の「道具」でもありました。

彼が難関の医術開業試験に合格したのは本当のことです。ただその合格までの道のりで、不自由な左手で同情を買うことで借金を可能にする「借金の天才」だったという一面もありました。

それによって彼は、裕福でないと通えない高等小学校へと進学し、卒業後も会津若松で書生として病院に住み込むことができたのです。

そして、そこで高山歯科医学院の歯科医である血脇守之助と出会い、これがきっかけとなって上京し、試験への合格を果たしたのでした。

「借金大王」野口英世!

こうした進路の過程で資金を得ることができたのは、彼の巧みな話術と、不自由な左手によって同情を買うことができたからです。それはそれで彼の特異な能力で、この天才的な「借金大王」ぶりは終生変わることがありませんでした。

おそらく英世は、天才詐欺師としての才能も備えていたと思われます。

ここまでで「借金」と何度か書きましたが、実際には彼が借金として得たお金は、たかりや詐欺まがいの形で得たものも多いのです。

しかし彼の勉学に対する情熱と頭脳の明晰さは本物で、本業である医学や細菌学のみならず、通訳もこなせるほど、複数の語学にも通じていました。それほどの才覚のある人間なら、なるほど投資しようという人がいるのも頷ける話です。

さて、合格した彼は北里研究所の研究員となり、在籍時に来日したジョンズ・ホプキンス大学のサイモン・フレクスナー教授のつてでアメリカへ渡航することが決まります。

で、渡航資金として得たお金を、彼は遊郭で使い果たしてしまいます。しかもこれは結婚詐欺まがいの手口で得たものだった上に、よりによって一晩で使い果たしたのだからすごい話です。一体どんな遊び方をすればそんなことになるのでしょう。

そんな野口のために、血脇守之助は高利貸から借金までして資金を調達。野口は何とかアメリカにたどり着きました。

アメリカでは、紆余曲折ありながらもロックフェラー研究所に所属し、在籍時には細菌の一種である「梅毒スピロヘータ」の純粋培養に成功するなどの業績をあげています。

当時これは偉業と言えるもので、これで野口の名声は国際的に高まりました。

これが野口の人生の絶頂期でした。彼は名声を得て一時帰国を果たし、母とのひとときを過ごしたり国内各地で講演したりします。まさに彼にとっては凱旋帰国でした。

野口英世の情熱、パワー、エネルギー

しかし、アメリカへ再び渡航してから、野口の栄光にも陰りが見えてきます。彼は黄熱病の研究に取り組み、病原菌を発見しワクチン開発までこぎつけたのですが、その効果が芳しくなかったことから、研究者の間でも野口の業績に疑問を抱く声が出始めます。

そこで野口は、自分の研究成果の証明のために、妻の反対を押し切ってまでアフリカ大陸のガーナに赴いて研究を進めます。ところが、ここで彼自身が黄熱病に罹患して命を落としてしまうのでした。

享年51歳。あまりの若さにちょっと驚きますが、素行や人間性はともかくとしても、医学に対して命を懸けてフルスピードで人生を駆け抜けたことは間違いないでしょう。

上野恩賜公園の野口英世像

さて、野口の業績が、今ではほとんど見るところがなく、有り体に言えば「間違いだらけ」なのは周知のごとくです。

ただこういった学説というのは、時代によって定説が変わっていくのはよくあることです。それ自体で野口英世という人物を貶める根拠にはなりません。

また彼は確かに、渡辺淳一の言葉を借りれば「金銭的人格破綻者」でした。しかし彼の学問的野心、肉親への愛情、恩師への感謝の念は否定しがたく、愛情にしろ金銭の使い方にしろ、彼の中にはパワーとエネルギーが溢れていたのだと思います。

こういう人、歴史上でもたまに出現するんですよね。とても頭が良くて情熱的でパワフルで、だけど女や金銭についても刹那的で破滅的。普通には生きられないけれど、それでも別に悪人というわけではない。ただ、道徳や倫理に縛られた価値観ではちょっと理解しがたいというキャラクターです。

私などは、そういう生き方が少し羨ましく感じます。

合わせて読みたい

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参考資料
・渡辺淳一『遠き落日』(1982年・角川文庫)
・星亮一『野口英世の生きかた』(2004年・ちくま新書)
・中山茂『野口英世』(1995念・岩波書店)

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