【鎌倉殿の13人】限定頒布の御城印ゲット!大庭景親が住んでいた?相模国・大庭城の歴史 (2/3ページ)
(※)大庭景親の父・大庭景宗(かげむね)が築城したとの説もあるようです。
御厨とは伊勢の神宮(いわゆる伊勢神宮)に寄進する供物を供給するための領地で、その代わりに国衙への年貢を免除される特権が得られました。
後三年の役で活躍した鎌倉権五郎景正(画像:Wikipedia)
大庭御厨は大庭景親らの祖先・鎌倉権五郎景正(かまくらの ごんごろうかげまさ)が開拓、以来この一帯は鎌倉一族が治めています。
「それじゃあ、大庭景親の館は?」と言うと、『玉隠和尚語録(ぎょくいんおしょうごろく)』によれば大庭城から少し南の位置に建っていたことが言及されており、「大庭城≒大庭景親の館跡」とする説(※)は江戸時代の創作なのだそうです。
(※)大庭景親の館跡に目をつけた築城の名手・太田道灌(おおた どうかん)が本格的に改修。難攻不落の名城になったと言われますが、地元民の期待がそのような伝承を生みだしたのでしょう。
ただし、中世の武士はいつも城にいた訳ではなく、平時は利便性の高い館で暮らし、戦闘時は守りやすい城砦に立て籠もる者もいましたから、大庭景親が館と城の双方を所有していた可能性も否定できません。