【鎌倉殿の13人】限定頒布の御城印ゲット!大庭景親が住んでいた?相模国・大庭城の歴史 (3/3ページ)

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「そなたも1枚、購入せねば!」販促にいそしむ上杉朝昌。

そんな大庭城の城主として名前が残っているのは上杉朝昌(うえすぎ ともまさ)、一門の有力者で長享2年(1488年)に大庭城へ移って来た記録があります。

しかし永正9年(1512年)に西部から勢力を伸ばしてきた伊勢宗瑞(いせ そうずい。北条早雲)が大庭城を攻略(合戦の痕跡がないことから、無血開城したのかも知れません)。

城主の座を継いでいた子の上杉朝良(ともよし)は城を追われ、翌年鎌倉郡に玉縄城(たまなわじょう。現:鎌倉市)が築かれると存在価値も薄まり、やがて廃城とされたのでした。

終わりに

大庭氏の家紋と伝わる「三つ大文字」バージョンも作ってほしいところ。

現在、城跡は公園(大庭城址公園)として整備され、戦国時代の堀や土塁など遺構のほか、一帯には城山や駒寄、二番構など大庭城に由来する地名が伝わっています。

藤沢市街から少し離れた、のどかな郊外に広がる大庭城址公園。もし訪れることがあれば、かつてこの地を治めた大庭景親や上杉朝昌らの雄志に思いを馳せるのも一興でしょう。

※参考文献:

黒田基樹『扇谷上杉氏と太田道灌』岩田書院、2004年7月 網野善彦ら編『講座 日本荘園史5 東北・関東・東海地方の荘園』吉川弘文館、1990年4月

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