実はかなりの高収入!試し斬りの高スキルを代々継承した江戸時代の死刑執行人「山田浅右衛門」とは? (1/2ページ)
現代の日本でも残る死刑制度ですが、日本史上には、有名な死刑執行人がいました。
その名は「山田浅右衛門(やまだ あさえもん)」。これは一人の人物を指すのではなく、とある役割を務めていた山田家の当主が代々名乗った名称です。
そこで、今回の記事では、そんな山田浅右衛門(やまだ あさえもん)について、恐ろしい別名なども合わせてご紹介したいと思います。
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残酷すぎる…獄門、磔、鋸挽、江戸時代の死刑の種類はなんと6つもあった 山田浅右衛門(やまだ あさえもん)とは?山田浅右衛門(やまだ あさえもん)は、江戸時代に御様御用(おためしごよう)と呼ばれ、刀剣の試し斬りを行っていた山田家当主が代々名乗った名です。
そもそも、山田浅右衛門の先祖は、徳川家康の側室である茶阿局(ちゃあのつぼね:松平忠輝の母)の実家であるという説があります。
初代当主である山田浅右衛門貞武は浪人でしたが、専門的な試し斬りを行っていた幕府旗本であった中川重良の弟子・山野加右衛門永久の弟子でもありました。また、山野家の他の弟子たちは貞武よりも早く没していたため、彼は自分の技を子どもの吉時にも伝えることになりました。