未解決のまま終わりそうな歴史上の10の謎
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歴史をさかのぼってみると数々の謎が残されている。多くの専門家がその真相を知るために奮闘しているが、現代科学をもってしても解決にはいたっていない。
証拠が失われたり、破壊されたりという根本的な問題もあるが、今ある証拠も曖昧すぎて、専門家たちの意見も一致しないこともある。何か陰謀めいたものが関わっている可能性もある。
答えが出ないがゆえに、こうした謎はより魅力的に感じられる。今後もはっきりした説明はできそうもない歴史上の10の謎をあげてみよう。
・1. アーサー王は実在したのか?
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「アーサー王」は6世紀初めにローマン・ケルトのブリトン人を率いてサクソン人の侵攻を撃退したとされる人物だ。
アーサー王の伝説は、1000年以上にわたって、繰り返し語り継がれてきた。王の宮廷があったとされるキャメロットの町、円卓の騎士たち、魔法使いマーリン、エクスカリバーの剣などは皆、アーサー王伝説の有名な要素だ。
しかし、アーサー王が本当に実在の人物だとしたら、現実はそれほど不思議ではなさそうだ。アーサー王伝説の現存する最古の記録は9世紀のもので、おそらくは王ですらない指揮官が、サクソン人と何度か戦ったという話が伝えられている。だが、この話の信憑性にも異論がある。
アーサー王伝説に関連する場所は、イギリスにたくさんある。海岸べりのティンタジェル岬もそのひとつだ。
ここはアーサー王の邸宅があったとされているが、発掘調査では、王が住んでいた、あるいは存在していた証拠は確認できなかった。
結局、アーサー王は実在したのか、それとも純粋にフィクションなのか、研究者がはっきり知ることはないだろう。・2. 切り裂きジャックは誰だったのか?
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1888年、切り裂きジャックは、ロンドンで少なくとも5人の女性を殺し、遺体を切り刻んだ。警察に届いたジャックからのものとされる複数の手紙は、捜査状況を愚弄した内容だった。
だが、これらの手紙が本当にこの殺人鬼が書いたものなのか、さまざまな議論がある。ジャック・ザ・リッパーの名は、こうした手紙からきている。
容疑者はたくさんあがったが、言うまでもなく、切り裂きジャックは捕まっていない。
2012年の著作『Jack The Ripper: The Hand Of A Woman』の中で、著者のジョン・モリスは、リジー・ウィリアムスという女性が切り裂きジャックだと言っているが、ほかの専門家たちは、それに疑問を投げかけている。
これまでも、さまざまな説が浮上しているが、今後もジャックの正体がはっきりすることはなさそうだ。・3. クレオパトラの墓はどこにある?
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古代の作家たちは、クレオパトラ7世と彼女の恋人マーク・アントニーは、紀元前30年の死後、同じ墓に埋葬されたと主張している。
プルタルコス(紀元45~120)は、墓はエジプトの女神イシスを祀った神殿の近くにあり、金、銀、エメラルド、真珠、黒檀、象牙でできた宝物を備えた"堂々とした美しい"記念碑だと書いている。
だが、墓の場所はいまだに謎だ。
2010年、エジプトの元考古相ザヒ・ハワスは、現在はタポシリス・マグナと呼ばれるアレキサンドリア近くの遺跡を発掘した。
ここには、クレオパトラがエジプトを治めていた時代にさかのぼる墓がたくさんあることがわかっている。
興味深い考古学的な発見物がたくさん出たが、クレオパトラの墓は見つからなかったという。例え今日まで墓が残っていたとしても、おそらく略奪され、わからなくなってしまっている可能性が高いと専門家は考えている。・4. 誰がジョン・F・ケネディを殺したのか?
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おそらく、この事件はアメリカ史上最大のミステリーで、今後も万人が納得する答えが得られることはないだろう。
1963年11月22日、ジョン・F・ケネディ大統領は、ダラスでハーヴェイ・オズワルドに狙撃されて亡くなったとされている(狙撃犯はオズワルドだけではないという説もある)
その2日後の11月24日、オズワルドは裁判にかけられる前に、ナイトクラブのオーナー、ジャック・ルビーに撃たれて死んだ。ルビーは、1967年1月3日に肺ガンで死んだ。
広く言われているのは、オズワルドがひとりで大統領を暗殺し、ジャック・ルビーも自分の意志でオズワルドを殺したという話だ。
ルビーは、オズワルド殺害の動機について"ジャクリーン・ケネディが、オズワルドの裁判で証言したりして苦しむのを避けるため"としている。
しかし、歴史家もアマチュアも、この説明には納得しておらず、大統領の死以来、たくさんの新説が生まれた。
60年近くも昔のことでもあり、重要な新証拠はこれ以上出てきそうにない。真相はおそらく誰にもわからないだろう。・5. カエサリオンは本当にシーザーの息子なのか?
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ハトル神殿にあるクレオパトラ7世と息子のカエサリオンのレリーフ / image credit:public domain/wikimedia
紀元前47年、クレオパトラはジュリアス・シーザー(ガイウス・ユリウス・カエサル)の息子だと言われている息子カエサリオン(プトレマイオス15世)を産んだ。紀元前44年、クレオパトラはカエサリオンをエジプトの共同統治者に指名していて、それを表わす美術品が今日でも残っている。
だが、カエサリオンが本当にシーザーの息子だったのかどうかは、はっきりしない。シーザーはカエサリオンを自分の子どもだとは認めていないからだ。シーザーの友人のひとりであるガイウス・オッピウスは、カエサリオンはシーザーの息子ではないとはっきり書いている。
紀元前30年、クレオパトラは、マーク・アントニーと共にオクタヴィアヌスに敗れて自殺し、カエサリオンもそれからほどなく殺された。
シーザーもカエサリオンも遺骨は残っていないため、このふたりに父子関係があったのか、確定する術はなさそうだ。・6. オーク・アイランドの埋蔵金は本当にあるのか?
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カナダ、ノヴァスコシア州沖に浮かぶオーク・アイランドに関して、2世紀以上も前から、ある噂がささやかれている。
あの海賊ウィリアム・キッド(1645~1701)が残したとされる財宝がここに隠されているというのだ。
それから、多額の費用をかけて多くの探検が行われたが、現在に至るまで財宝はなにも見つかっていない。
これだけ長い間探しても、オーク・アイランドからなにも出てこないのに、それでも、人々の宝探し熱は冷めない。ヒストリーチャンネルの「オーク・アイランドの呪い」という番組は、現代の宝探しを追ったもので、2016年にはシーズン4ができた。・7. 死海文書と共に発見された銅の巻物は本物か?
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image credit:Osama Shukir Muhammed Amin FRCP(Glasg), CC By 4.0
1952年、クムラン遺跡の洞窟から、ほかの死海文書と共に銅の巻物が発見された。その名が示すとおり、銅の巻物に文字が刻みつけられていて、膨大な量の金銀財宝が隠されていると記録されているが、それはありえないと考えている専門家もいる。
この巻物は、ローマ帝国がクムラン地域を支配していた時代、今から1900年以上前にさかのぼるものだ。
これが書かれた当時は、ローマの支配に抵抗して多くの反乱が起こっていた。専門家たちは、ローマの勢力に略奪されるのを防ぐために財宝は隠されたという仮説をたてている。
この宝は実在するのか、どこに隠されているのか、なにかが見つかったことがあるのか、今も存在するものなのかはすべて謎で、解明されそうにない。・8. 「契約の箱」はどうなったのか?
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紀元前587年、バビロニアのネブカドネザル2世の軍隊が、エルサレムを占領し、町を略奪して、ユダヤの人々が神を崇めるために使う聖なる第一神殿(ソロモン神殿)を破壊した。
ここには、十戒が刻まれた石板を収めた「契約の箱」があった。
この箱がどうなったのかは、わかっていない。古代の文献では、箱はバビロンに戻された、あるいは町が占領される前にどこかに隠されたとされている。
町が略奪されている間に、破壊された可能性もあるが、いずれにしても、「契約の箱」の行方はわかっていない。
なくなって以来、箱の運命について多くの憶測や伝説が語られた。箱はエチオピアに渡り、現在もそこで保管されているという話もあれば、神の力によって隠されているので、救世主が現われるまで、出てこないだろうと言う者もいる。・9. バビロンの空中庭園は本当にあるのか?
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現在のイラクにあたる、バビロンの古代都市にはすばらしい空中庭園があったと、古代の作家たちは書いている。
いつ、このような庭園が造られたのかはわかっていないが、世界の不思議と呼ぶほど、この庭園に感銘を受けた作家もいる。
紀元前250年頃、ビザンチウムのフィロンは、この空中庭園では、地上よりも高いところで植物が栽培されていて、木は地中ではなく、高台に根を下ろしているという。
これまでのところ、バビロンを発掘しても、こうした記述に見合う庭園の遺構は見つかっていない。
空中庭園は本当に存在したのだろうか? 2013年、オックスフォード大学の研究者、ステファニー・ダリーは、この庭園は実際にはニネヴェのアッシリアの町にあったという説を打ち出した。
ここ20年以上、バビロンもニネヴェも、戦争や略奪によって被害を受けていて、この謎は完全に解明されることはないように思われる。・10. アトランティスは実在したのか?
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紀元前4世紀、ギリシャの哲学者プラトンは、先史時代に大西洋に存在し、ヨーロッパとアフリカのほとんどを支配下においていたとされる「アトランティス」という大陸の話を書いた。
先史時代のアテネ人がアトランティスに反撃し、その結果、アトランティスは海の底に沈んでしまったのだという。
この話を真面目に信じている学者はいないが、この伝説はギリシャの歴史で実際に起こった出来事から、部分的にインスピレーションを得たのではないかと推測する者もいる。
ひとつの可能性は、紀元前1400年頃までクレタ島で繁栄していたミノア文明が、アトランティスの話の発端になったのかもしれないという。
クレタ島は大西洋ではなく地中海にあるが、ミノア人の集落は、ギリシャのテラ火山の噴火でかなりの被害を受けていた。
ミノア人は最終的には、ギリシャ本土を拠点とするミュケナイと呼ばれるグループに敗北した(あるいは併合された)。この論争に完全な決着はつきそうにない。
References:14 biggest historical mysteries that will probably never be solved | Live Science / written by konohazuku / edited by parumo
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