ごちゃごちゃして分かりにくい!、室町時代「応仁の乱」発生のきっかけと経緯、その結末を総まとめ (2/4ページ)
宗全と勝元は最初は協力関係にあったのですが、応仁の乱が発生する前に敵対関係になったとされ、彼らの衝突も応仁の乱を長引かせる一因となりました。
また、ここに大名の畠山家の家督争いも絡んできます。
畠山家の家督争いも、足利将軍家と同じパターンです。最初はお世継ぎに恵まれなかったので養子・持富(もちとみ)を迎えたところ実子・義就(よしなり)が生まれてケンカになったのでした。面白いくらいに同じ構図で、こういうトラブルはもしかすると当時よくあったのだろうか、と想像してしまいます。
瀬戸内海の利権もからむこうして持富が「義視派」に、そして義就が「義尚派」に加わることになりました。将軍家と畠山家の家督争い、それに有力大名の確執の全てが絡み合い、何がなんだか分からない中で争いの規模ばかりが大きくなっていきます。