死守した城・領地もろとも…「陸の孤島」統治者だった武将・内ヶ島氏理の信じられない最期 (1/4ページ)

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死守した城・領地もろとも…「陸の孤島」統治者だった武将・内ヶ島氏理の信じられない最期

戦国武将・内ヶ島氏理は「陸の孤島」の統治者

戦国武将で、悲惨な死・非業の死・可哀想な死を遂げた人は数多くいます。しかし、純粋な「不運」で一族郎党が全滅して、しかも未だにどこに眠っているのか分からないという、こんなケースはちょっと他にないでしょう。

内ヶ島氏理(うちがしま・うじまさ、或いはうじとし)は、世界遺産としても有名な飛騨国(岐阜県北部)白川郷の帰雲城(きうんじょう、或いはかえりくもじょう)を拠点としていた戦国武将です。

冬の白川郷

当時の白川郷は「陸の孤島」とも言うべき山深い土地で、他国の侵略を受けることなく、内ケ島氏が代々統治してきました。

しかし、氏理の代になると天正4(1576)年~天正6(1578)年にかけて立て続けに侵略の手が伸びてきます。飛騨統一をもくろむ姉小路頼綱(あねがこうじ・よりつな)や、中にはあの「軍神」上杉謙信もいました。

ところが、さすがは陸の孤島。侵攻していった武将たちも過酷な行軍で疲労困憊、戦どころではなかったようで、いずれも撃退されています。

しかし、織田信長が飛騨に迫ってきたとなれば、さすがの氏理も敵いません。信長への臣従を決意し、織田方に加わると、謙信の後を継いだ上杉景勝との戦いに参加します。

ところがこの後、タイミングよく本能寺の変が起き停戦となりました。それで氏理は帰雲城へ帰還します。

時代に翻弄されるも領地を死守

信長亡き後は、その家臣だった越中国(富山県)の佐々成政(さっさ・なりまさ)に従います。

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