死守した城・領地もろとも…「陸の孤島」統治者だった武将・内ヶ島氏理の信じられない最期 (2/4ページ)
しかし、この成政は柴田勝家の与力だったため、勝家が賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉に敗れて滅亡すると、秀吉は成政のところにも攻め込んで来ました。天正13(1585)年の「富山の役」です。
そこで氏理は、自ら兵を率いて富山へ向かったのですが、成政はさっさと出家して秀吉に降伏します。それにならって、氏理も戦うことなく降伏しました。
ところが折悪しく、秀吉は同じタイミングで、部下の金森長近(かなもり・ながちか)に姉小路氏討伐と飛騨平定を命じていたのです。長近は姉小路氏を制圧したのち、飛騨の内ヶ島領にも攻め込んだのでした。
この時、氏理はまだ城に戻っておらず、残っていた家臣はあっさり長近に城を明け渡してしまいます。
やがて帰雲城に戻ってきた氏理は、城が明け渡されていることを知って愕然としましたが、とりあえず身を守らねばなりません。長近を通して秀吉に恭順を申し出ます。
こう言ってはなんですが、内ヶ島氏自体は大した勢力ではなかったので、秀吉もこれを受け入れました。だいぶ時代に翻弄された感はありますが、とりあえず氏理は内ヶ島氏の名跡と白川郷の領地を保証されたのです。
ところがこの後、信じられない不運が氏理に襲いかかります。
誰も予想しなかった最期11月29日のことでした。領地を保証された氏理たちは、帰雲城で祝宴を開いていたそうです。そしてその夜、突然それがやってきました。
それは、後に「天正地震」と呼ばれることになる大地震でした。